BW_machida
2021/03/11
BW_machida
2021/03/11
生きていくということは、心を消費することでもある。ちょっとしたことで腹を立てたり、負けるものかと頑張りすぎてしまったり、他人を求めるあまり寂しさを感じたり。心が動いたぶんだけ喜びもあるが、恐れや不安が膨らむこともある。しかし、そうした心の傷に向き合ってこそ、自分も気づいていなかった本当の「私」とようやく出会えるのかもしれない。
本書は、日韓累計56万部を超える大ヒットとなったエッセイ『死にたいけどトッポッキは食べたい』の続編。人間関係や仕事、体型の悩み、自傷衝動といった憂鬱症を抱える女性が、精神科医とのカウンセリングを通して、自分自身の心を見つめ直すエッセイだ。
もっと気楽に生きられたら、そう思いつつも他人の存在が容赦なく著者を傷つけていく。元気そうだねと言われれば、まるまると太っていると言われている気がするし、だから自分の身体を見るのもいやになる。誰かが美人だねだと褒めてくれても、そんな言葉は心から簡単に弾き飛ばされてしまう。「自分を否定する言葉だけが、どんどん吸収されていく」のだ。心の傷に向き合う過程で、著者は何度も自分自身を再発見する。
「私は本当に他人への関心が強く、どこに行くのか、何を考えているのか、気分はどうなのか気になって仕方がない。素敵な服を着ていれば褒めたくなるし、ヘアスタイルやメイクが変わった時もすぐに気がつく。短所を見つけるのと同じように長所も見つける。だからだと思う、誰かが私に関心がないとわかった瞬間、寂しくなってしまうのだ。」
他人とは、自分を認めてくれる相手であると同時に、傷つける存在でもある。そのことが著者を悲しくさせる。なぜそこまで他人に気を遣ってしまうのだろうか。それは「彼らがいつでも私を憎むことができる」からなのだと著者は語る。彼らは、断片的な態度ひとつで自分を判断し、嫌うことも、愛することもできてしまう。誰かに好意をもたれないことの恐怖感が、著者に自己憐憫するほどの深刻な自己嫌悪を連れてくる。
本書からは、自分の全存在をかたむけて他人と真面目に向き合おうとする著者の心のひたむきさが伝わってくる。他者と関わる過程でついた傷ならば、それは今まさに生きていることの証明ではないだろうか。読者は、ページをめくるごとに彼女の心の柔らかさに触れるはずだ。
「傲慢だったことがあるから、傲慢にはなりたくない。自慢しいで利己的だったことがあるから、謙虚になって利他的でいたい。生まれつきの善人でない以上、自分自身や他人の経験を通すことでのみ学び、改善していけるのではないだろうか。」
「生き抜くための、私なりの努力なのだと、まず信じることが大切」であり、変わっていくことが大切なのだという著者の言葉には現代的なリアリティがあり、強く印象に残った。
『死にたいけどトッポッキは食べたい 2』光文社
ペク・セヒ/著 山口ミル/訳
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