ryomiyagi
2021/04/29
ryomiyagi
2021/04/29
おれはすべてを描き尽くす。
真藤順丈の小説を読んでいると、作者のそんな声が聴こえてくることがある。
書くという行為への尽きぬ欲求が筆致として現れる。すべてを網羅しなければならない。文字で。したがって真藤の小説には文字が溢れかえる。表現が並ぶ。読者は作者と併走しつつ、脳から湧き出すイメージの奔流を受け止め続けることを求められるのだ。
『われらの世紀』は、十篇を収めた真藤の最新作品集である。主として「小説宝石」とアンソロジー〈異形コレクション〉に掲載された短篇が収められている。
統一テーマが呈示されるわけではないが、〈われら〉が生きるこの世紀が、いかなる成り立ちをしているかを解き明かそうとする作者の意志は一貫しているように思う。たとえば巻頭の「恋する影法師」は広島への原爆投下によって引き裂かれた恋人たちを描いた幻想譚である。時間の経過と共に薄れていく悲劇の記憶を、作家は書くことでこの世に留めようとしたのだ。「あの日のあとで、ようやく結ばれた恋人たち」が「世界の辻」で「抱き合って踊る」という結末に呈示された幻像に、物語に永遠の命を与えて遍く世界に存在させたいという願いを感じた。
冒険活劇の性格を持つ「一九三九年の帝国ホテル」、「レディ・フォックス」の二篇は、いずれも理不尽な力によって居場所を奪われた者たちの、抵抗の詩を詠った作品である。ことに後者は、和人によって蹂躙されたアイヌの歴史を背景としており、凄惨な展開の中に怒りの感情が迸る。真藤は他者から何を言われても自身の信念を貫く通す人物を好んで作品に書きこむが、「無謀の騎士」は匿名による誹謗中傷の言辞が氾濫するネットの世界にYouTuberとして闘いを挑む男が主人公である。これもまた抵抗の詩と言えるだろう。
笑芸人を描いた短篇が多いのも本作の特徴だ。笑うという行為は感情の爆発であり、積もり積もったものがそれによって無化されるという効果がある。悲劇が一転して喜劇となることもありうるのだ。逆に笑いの裏に涙が見えることも。「笑いの世紀」は戦地慰問団から脱落した芸人を追う調査行が、なぜか四国遍路につながるというトリッキーな話であり、悲しすぎて笑うしかないという表裏一体の感情が描かれる。呵々大笑しながら涙をこぼすという矛盾したありようは、細部の辻褄合わせを無視してでもすべてを描こうという真藤の創作姿勢そのものだ。すべてを書くぞと真藤は叫ぶ。おれは書く、きみたちは読め。行くぞ。
『われらの世紀 真藤順丈作品集』
真藤 順丈/著
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