ryomiyagi
2021/10/12
ryomiyagi
2021/10/12
中学受験小説。我ながら、よく書いたものだと思う。
書いている間じゅう、辛かった。これまで色々な小説を書いてきたが、こんなにも、書きたい気持ちと書きたくない気持ちがせめぎ合った物語は初めてだ。
オファーがあったのは八年程前か。当時私は子どもの中学受験の伴走をし、毎日疲れ果てていた。真剣になりすぎていたのである。そんな私の様子を見て、「いつかこの経験を小説にしましょう」と編集者が言った。「いつか……?」本当にそんな日が来るのだろうか。先が見えなかった。
私は、自分の心を落ち着けるために様々な雑誌や指南書を読み漁っていた。佐藤ママのセミナー、高濱正伸先生の講演会、鳥居りんこさん主宰の飲み会……。小説の取材ではなく、一母として、切実な思いで参加した。いちいち感銘を受け、良い母になろうと心に決めて帰宅するのだが、現実の子どものサボり具合や反抗的な態度を前にすると、もう駄目だった。子どもを心配するからこその苛々が、子どもの心を痛めつける獰猛な言葉に変わる瞬間を、数知れず経験した。
親子で挑む、とか、親が九割、というのも読んだけれど、親が子をうまく導くのが、どれだけ高度で辛抱のいる作業か……。私の知り合いに児童心理学の専門家がいるが、中学受験で親子関係はボロボロになっていた。穏やかに終えているように見える家庭もあったが、子を思えばこそ途中経過で揺れ動いた心や不安な思いはあっただろう。子どもの成績が数値化され、学校を選ぶ、学校から選ばれる、という現実はパターン化できないほど壮絶なものだ。
だから私は、中学受験小説を書くのなら、あるあるではなく、私の子どもたちや私自身の経験談でもなく、その子の、その親の、ひとつしかない人生として書こうと心に決めた。成功したかは分からないが、翼の翼の行く末が明るいものになることを、今も私は心から祈っている。
『翼の翼』
朝比奈あすか/著
【あらすじ】
専業主婦、有泉円佳の息子、翼は、中学受験に挑戦する。中高一貫校を受験した経験のある夫真治と、それを導いた義父母。中学受験に縁のなかった円佳は、塾に、ライバルに、保護者たちに振り回され、世間の噂に、家族に、自分自身のプライドに絡め取られていく。
朝比奈あすか(あさひな・あすか)
1976年東京都生まれ。2006年「憂鬱なハスビーン」で群像新人文学賞を受賞しデビュー。ほかに『彼女のしあわせ』『不自由な絆』『君たちは今が世界』など。
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