「ゴネ屋」「ゴネ得」…知っておきたい「田舎暮らし」の嫌なところ
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BW_machida

2022/01/28

 

2021年1月29日、総務省が公開した「2020年の住民基本台帳の人口移動報告」によると、東京からの転出者数が約40.2万人(2020年)と、98年以来の40万人越えとなっている。

 

これまでも50年代60年代70年代と、その時々の世相に比して転入超過と転出超過を繰り返してはきたが、97年以降は転入超過が常態となり、13~19年にかけては毎年7~8万人の転入超過が続いた。それが、昨年20年には3.1万人の転入超過と落ち込みを見せた。

 

考えられるのは、新型コロナウイルスの猛威による在宅勤務やリモートワークの奨励や、人口過密地で暮らすことに対する諸々の不安などではないだろうか。かくいう私は、渋谷という超過密地に暮らす地方出身者である。東京生まれの友人は、「東京で暮らすメリットよりも地方で暮らすデメリットの方が少ないのでは」とか「イザとなれば戻れるからイイ」などと言う。しかし、コロナなどではないもっと深刻な事態になれば別だが、今のところは全くその気がない。地方で生まれ育った私には、田舎が好きになれない幾つかの理由がある。

 

「何がそうまで思わせたのか」考えているところに、『田舎はいやらしい 地域活性化は本当に必要か?』(光文社新書)を見つけた。あれやこれやと考えあぐねる私に、表題の「いやらしい」という表現がズバリ刺さった。著者は、1級ファイナンシャルプランニング技能士、宅地建物取引士、管理業務主任者などの多様な資格を有し、戯曲やシナリオを執筆し舞台公演を行うなど多才な花房尚作氏だ。果たして昨今流行り(?)の「田舎暮らし」をどう断ずるのか、俄然興味が湧いてきた。

 

私の手元には過疎地域を扱った出版物がたくさんあるが、そのほとんどは過疎地域を好意的に描いている。のどかな田園風景が広がり、清く正しく美しい人びとが聖人のように触れ合う天国のような過疎地域である。個人ないし企業が、自らのイメージを上げる手段として、過疎地域を利用しているケースもよくある。仲間同士で仲よく地域活性化を進めている様を美しい物語として描くといったものだ。
しかし現実は違った。
のどかな田園風景の裏には摩擦や葛藤といった泥臭さが潜んでいた。そこには田舎の持ついやらしさや息遣いがあった。「なんとなく気に食わない」「どうにも馴染みがない」といった理由で他者を叩きのめし、排除していた。そのような一面も過疎地域にはある。

 

地方都市に生まれ、田舎で育った私にはよくわかる。
そうなのだ。決して田舎は、いや、田舎に生まれそこで暮らしている人たちの多くは、よそ者に対して友好的ではないし、ましてやそんなよそ者がやろうとすることに理解を示すなど極めて稀なことだ。いや、彼らにとってのメリットを、わかり易い形で提示できれば協力は得られるかもしれないが、それとて一事的なものでしかない。などと、私までが口汚く(文章が)なってくる。

 

残念ながら、私の知る田舎とは、そんなモードに支配された地域である。
それでも地元に戻れば、友人もいるし幼馴染も居る。そんな彼らも……とは言いたくないが、それとて、すでに何かを相談しようとは思っていない。そうなのだ。彼らは、何か厄介ごと(新規の何かを彼らはそう呼ぶ)を持ち込まない限り、とても優しい、気の良い連中である。しかし、それが見ず知らずのよそ者となると話は違ってくる。そんな気の良い幼馴染たちですら、相手が知るはずもないローカルルールを盾に思いもよらない偏屈な一面を見せたりする。

 

過疎地域では競争原理が働いていないため、それは仕方がないことでもあった。たとえ医師のような専門職であっても気分屋が多く、その日の機嫌で対応がまったく違うといった話はよくある。過疎地域で暮らしていくには、そうした「過疎地域クオリティ」といったものに慣れるしかなかった。

 

なるほど、それを「……クオリティ」とは、いかにも皮肉が効いている。
特に役所や郵便局など、公共サービスを提供するはずの窓口の対応はお粗末で、ちょっとした行き違いで何度も足を運ばされたり、かと思えば、誰でもできるような簡単な事務作業に手間取り、あり得ないほど時間を費やすことになったりする。そんな時に、「いやいや、のんびりしていて良いんだ。都会のせちがらさに比べれば、これこそ憧れていたスローライフに違いない」などと自分を慰めてみたりするのだが、残念ながらそれは違っている。その窓口係が手間取っている作業や、言い訳じみた曖昧な説明は、明らかなスキル不足であることが多い。

 

どうしてそうなるのか。過疎地域の人びとは目の前で起きたことを論理的に語るのが苦手だった。たとえば、過疎地域には奥さんに命令口調でしか言葉を伝えられない人がたくさんいた。マスメディアの受け売りで物事を語る人もたくさんいた。そのような人たちが行うクレームは感情的になりやすく、感情の縺れとして扱われる。そのため、クレームを受ける側も論知的な対処を怠るのである。

 

私の育った田舎は、田舎とはいえ地方都市の郊外で、本書の言う過疎地域ではない。それでも、似たような傾向が地域住民には多く見られる。

 

そんな私の田舎には、「ゴネ屋」「ゴネ得」などと言う言葉がある。前者は、なにかと問題をややこしくし(彼らを「ややこし屋」とも呼ぶ)、どちらに非があろうが無かろうが、とにかく相手が根負けするまでゴネ続けるのだ。そんな彼らを、同じく地域に住まう多くの人が嫌うのだが、そんな常識的な人たちと思っていた隣人ですら、何かがあれば「得をしよう」する。要は、同じ結論に達するなら「少しでも得したい」のだ。

 

などなど、私の俄か考察はさておき、本書は、そんな問題山積の過疎地の現実をとてもわかり易く解説してくれている。
そして、どれほど「地方創生」などと世迷言を並べても、一向に解決に向かう気配すら見せない明確な理由を著者はこう断じる。それは以下の3つである。

 

(1) 利便性の壁 (2) 労働環境の壁 (3) 人間関係の壁

 

過疎地域には、都心との距離に伴う学びの難しさがあり、単純労働に伴う労働環境の難しさがある。また、職業威信の序列意識や、文化威信の序列意識に伴う生活環境の難しさもある。

 

新型コロナウイルスの脅威によるリモートワークや在宅勤務の奨励により、これまで以上に注目される「田舎暮らし」だが、そこには、決して世間に流布するイメージとは異なる許容し難い現実も待ち構えていることを忘れてはならない。

 

本書『田舎はいやらしい 地域活性化は本当に必要か?』(光文社新書)は、まるで田舎者を全否定するかのように描きつつ、そこにある「過疎地域なりの生き方」を考察し、それを都会主導の市場原理を当てはめての「地方創生」に否やを突きつける問題の書であった。

 

文/森健次

 

『田舎はいやらしい』
花房尚作/著

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