2019/05/01
小池みき フリーライター・漫画家
『サイゴン・タンゴ・カフェ』角川書店
中山可穂/著
この原稿を、私はアルゼンチンのエセイサ空港のロビーで書いている。九日間にわたるブエノスアイレス旅行を終えて、今から日本に帰るところだ。
なぜブエノスアイレスに行ったのかといえば、タンゴの本場を見てみたかったからである。
趣味でタンゴダンスを習い始めて1年経つ。19世紀のブエノスアイレスで生まれた移民労働者たちの自己表現、音楽と歌と踊りでできたタンゴの世界に魅せられて、私は日本から一番遠いこの国までやってきたのだ。もちろん私の踊りは習い事レベルに過ぎないが、それでも楽しく踊りながら九日間を過ごした。
旅行の最中、何度もとある小説を思い出した。それは10年前、私にタンゴの魅力の一端を教えてくれた中山可穂の『サイゴン・タンゴ・カフェ』である。ブエノスに来たからには、今回はこの本を推すしかない。
本書には、短編・中編小説が五編収められている。それぞれが独立していて、ストーリー上の関連性はない。しかしタイトルから想像される通りタンゴがすべての物語に登場し、美しい通底音として五編をつなぎ合わせている。
なぜこの作品のBGMがタンゴでなくてはならなかったか、読めばわかると思う。今作の主人公たちはそれぞれがどこか哀しい、だけど生命力に溢れた「愛」を生きている。その仄暗さと力強さがタンゴの響きと重なることを、たとえタンゴを知らない人であっても感じ取るはずだ。
たとえば、かつて誰よりも愛し憎んだ男の葬式から香典を盗む「現実との三分間」のヒロイン。孤独な暗殺者の男と、彼を愛する女の二人の動向をじっと見つめる「ドブレAの悲しみ」の野良猫。それぞれの生き様に、影のようにタンゴが寄り添う。
いちばんの力作は、やはり表題作である「サイゴン・タンゴ・カフェ」。五編の中でもっとも長いこの中編だけが、中山可穂がこれまでずっと描き続けてきた「女性同士の恋愛」を主題としている。中心となる人物は、タンゴとはなんのゆかりもないサイゴンで、タンゴカフェを営む謎の老女だ。その正体は、かつて名声の絶頂で行方不明になったレズビアンの小説家、津田穂波。彼女が語る過去の”悲恋”の物語にも、やはりタンゴがよく似合う。
ただし本作は、タンゴの哀切を多分に含んでいながらも、決して単調に暗くはない。むしろ、中山可穂作品の中でもかなり前向きな作品ではないかと、彼女の作品をすべて読んできた者としては感じる。山本周五郎賞を受賞した『白い薔薇の淵まで』や、代表作である”ミチル”三部作の影にやや隠れている作品だが、ぜひ読んでみてほしい一作だ。
私は本書を、単行本版が刊行された2008年に読んでいる(現在は角川文庫版が入手しやすい)。その頃はタンゴに対しての興味はまったくなく、そもそもどんな音楽かもわかっていなかった。
だけど私の頭の中にはそのときたしかに、タンゴという概念が植えつけられたのだと思う。だからこそその10年後、何か習い事でもしようと考えたとき、タンゴという選択肢が浮上したのだ。
なお近年は、女優の米倉涼子がタンゴを熱心に習っていたり、木村多江がTVCMでタンゴダンスを披露していたりといった動きもあり、タンゴの世界に魅せられる人は今後も増えるのではないか、と個人的には期待しているところである。
この1年、私は「現実の三分間」のヒロイン美夏に共感できるくらいにはタンゴのレッスンを受けまくり(私には八尾のような相手はいないけれども)、勢いでブエノスアイレスまで来てしまった。ブエノスアイレスが舞台となる「現実との三分間」や「フーガと神秘」に登場する描写のいくらかは、自分の目と足で確かめることにもなった。一冊の本がこんな旅の伏線を引くこともあるのだ。
「教えてください。八尾さんにとってタンゴって何ですか?」
「夢だ。ありえないほど美しい夢だよ」
(「現実との三分間」より)
小説もまた、「夢」を覗き見るためのツールに違いない。新たなる夢を探す貪欲な人たちに、タンゴへの圧倒的偏愛を込めて本書をおすすめする。
『サイゴン・タンゴ・カフェ』角川書店
中山可穂/著