愛情がなくなったのではなく、ちょっと疲れただけ。すれ違っていく2人を描く『夢も見ずに眠った。』

金杉由美 図書室司書

『夢も見ずに眠った。』河出書房新社
絲山秋子/著

 

 

旅で始まって旅で終わる。

 

これは沙和子と高之の12年間にわたる物語だ。
まだつきあい始める前、学生だったころの高之の一人旅。
夫婦喧嘩をしながらの旅。
沙和子の単身赴任によって別居している中、久しぶりの旅での再会。
北へと、南へと、さまざまな旅で綴られる物語だ。

 

学生時代からの長い付きあいで、互いの長所も短所も知り尽くし理解しあっていたふたり。
でも仕事や病気が少しずつ彼らの距離を引き離していく。

 

最初は何ということもないすれちがいだったはず。
次の機会にしっかりと手を繋ぎなおせば大丈夫だったはず。
愛情がなくなったのではなく、ちょっと疲れただけ。
自分の気持ちがうまく言葉にできず、淋しさや虚しさが胸の中にふくらんで、相手を優先する余裕を失ってしまった。

 

「どうしてこんなに離れてしまったんだろう」

 

並走する電車に乗っていると、同じ速度のうちは窓からむこうの車内の様子が見えるのに、スピードが違っていくと見えなくなる。
そんなふうな、行き違い。
いつの間にか生きるスピードが違ってしまった。

 

嫌いじゃないのに。側にいたいのに。想っているのに。
でも、もう、お互いが見えない。

 

微笑みながら寄り添って歩いた懐かしい街。
あの人を思い出しながら独りで歩く知らない街。
人生という長い旅の中で、ふたりは巡りあい、離れ、すれちがう。
人は、どんなに淋しくても、その心の空白を独りで抱えて生きていくしかない。
自分の哀しみは自分だけで背負っていくしかない。
そのどうしようもない大きな孤独に心が震える。

 

だけど愛する人とともに観た風景の記憶は、心のどこかで輝いている。
今はもう過去へと走り去った出来事も、ただ消え去ってしまったわけではない。
ひとつひとつがやり直しのできない大切な一度きりのエピソード。
どの旅も特別な旅だ。どの思い出も特別な思い出だ。
そのすべての瞬間が愛おしい。
そう気がついたとき、曲がりくねったトンネルを抜けて、明るい景色が広がる。

 

読み終えたとき、誰かと旅に出たいと思った。

 

【こちらもおすすめ】

『平場の月』光文社
朝倉かすみ/著

 

中学生のときに擦れ違い、五十路を迎えて再会した二人。
語りきれない語りたくないほどの過去があり、未来を安易に約束できるほどの自信もなく、若い頃とは違うとまどいと懼れに揺れる。
それでも共に過ごせた日々は決して無駄ではない。
平場から見上げる月は、静かに彼らを照らす。

 

人生を共に旅していく上での「寄り添う距離」について考えさせられる物語。

 

『夢も見ずに眠った。』河出書房新社
絲山秋子/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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