メディアの誤報とつくられた「うわさ」を暴く|『つけびの村』を読む

藤井誠二 ノンフィクションライター

『つけびの村  噂が5人を殺したのか?』晶文社
高橋ユキ/著

 

 

そもそもマスコミの報道は間違っていたことが、著者の取材であきらかになった。加害者とされる者の家の窓に貼ってあった「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という、いかにも犯行を示唆する俳句か何かは、別の人物が、過去に起きた放火事件の際に貼っていたのだ。

 

本件は2013年だが、当時、ぜんぶのメディアがこれを犯行声明のように解釈して、狂騒的かつ大々的に報道した。8世帯12人のうち5人が殺害(撲殺・放火)された、山口県の山奥の集落で起きた凄惨な事件は、たしかに異様そのもので「八つ墓村事件」などにたとえられ世間を震撼させた。その貼り紙をすべてのメディアがあたかも犯行声明のように決めつけた。

 

「つけびの村」はネットで一部が公開された時点から読んでいたので単行本化を期待していた。筆者はマスコミの取材がひいたあとも限界集落たる村に足を運び、宮本常一が聞き取ったスタイルのように、細かく、繊細なディティールにこだわって記述していく。村に散らばる事実の断片を淡々と広い集める作業は、ネットも紙も違いがない。このノンフィクションにはメタファーもなく、ただ村人の言葉を聞き漏らさないように拾い上げていく。

 

この大文字化できないディティールこそが、悪意を内包した「うわさ」であり、「加害者」を追いやった「空気」におおきく関係しているに違いない。刑事裁判上は妄想性障害だとか、完全責任能力だという言葉が飛び交うが、それは事実かどうかを争い(事実がどうかもわからないといえるが)、誰がやったかという犯罪を立証するためのやりとりで、「真実」ではない。裁判ではこぼれ落ちてしまう事件の起きた老人たちの言葉を突き詰めたり、解釈をしようとして「正解」を求めようとする姿勢は著者には感じられない。ただ真綿で締めつけるように、誰にも見えないが、じつは見えている「空気」の猛烈な息苦しさ。そしてそれを醸成していった村の連綿と続く歴史を綴っていく。

 

私は1995年に福岡県飯塚市で起きた近畿大学女子高校(当時)で起きた体罰死事件を取材し、『暴力の学校 倒錯の街』という単行本にまとめたことがある。(『暴力の学校 倒錯の街』単行本は雲母書房。のちに朝日文庫。現在は絶版中)

 

「倒錯の街」とは、被害者や被害者遺族を中傷する情報が同校出身者から広げられ、加害者教員を助けようという署名運動まで広がった「異常」さをあらわしたものである。私は噂を何ルートも逆に辿り、でたらめをまきちらした人々を批判するように取材した。ネガティブな噂には尾ひれがつき、捏造されていき、被害者や被害者遺族は二度も三度も殺されたといっていいからだ。

 

うわさは、恐ろしい。人を殺し、殺させる引き金にもなりえる。人間のはらわたの奥底のどろどろとした汚い部分の化身である。『つけびの村』の主人公、すなわち「加害者」は、生まれ育った限界集落に戻ってきた。「加害者」に対するうわさはひそひそと数人で語られ、まことしやかに、そして誰もが事実のように固まっていった。加害者は故郷に戻った時点で精神の病を得ており、加速していった。 

 

本書はマネタイズという意味ではインターネット発のノンフィクションといえる。ノンフィクションの分野はオワコンといわれて久しいが、筆者の歩く姿は発表する媒体がなんであろうと変わりはない。村に通い、歩き、家にあげさせてもらい、老人たちと話し込む。闇がのしかかってきそうな殺伐とした村のあちこちの風景がアタマに残る。

 

『つけびの村  噂が5人を殺したのか?』晶文社
高橋ユキ/著

この記事を書いた人

藤井誠二

-fuji-seiji-

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。最近出した著作は『僕たちはなぜ取材するのか』(森達也氏らとの共著、皓星社)、『黙秘の壁 名古屋・漫画喫茶従業員はなぜ死んだのか』(潮出版社)、近刊に『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社)がある。愛知淑徳大学非常勤講師を長年務める。

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