2018/07/09
瀬尾まなほ 瀬戸内寂聴秘書
『1ミリの後悔もない、はずがない』新潮社
一木けい/著
あのとき「好き」と言っていれば。あのとき会いにいっていれば、あのとき「ごめんね」と言えていれば。「あのとき」という後悔は小さな箱に入ってずっと胸に残り続ける。箱を開けると当時の想いが一気に蘇る。素直になれなくて、うじうじして告白するチャンスを逃したこと。転校してしまうのが淋しかったのに最後の日に限って意地悪をしてしまったこと。もっと大切にすればよかった。もっと好きって言えばよかった。そんな後悔と一緒に胸がぎゅっと握りつぶされる感じ。タイムマシンに乗って過去の瞬間をやり直したいとか、何年ぶりかに連絡してみるとか、そのときの後悔を今更どうかするつもりはないけれど、「あの時に戻れたら」と思うこともしばしば。でも同時にその想いが今も色褪せないことに、その時の気持ちが生き続けている気がして少し嬉しくもなる。
一木けいの『1ミリの後悔もない、はずがない』は由井という女の子の初恋の人、桐原を想い出す場面から始まって、由井の友人の加奈子やミカ、そして由井の子供や夫と様々な角度からそれぞれの人生を書いている小説である。
由井の父親はアル中で離れて暮らしていて、借金を返すため一生懸命働く母親と妹と生活していた。お金がなく、クラスでも浮いている。そんな中で転校してきた桐原と出会い、恋に落ちる。
「なぜ桐原に惹かれたのか。どんなに考えをめぐらせても、色気としかいいようがない。(略)それは感じるものであると同時に、細胞や遺伝子の叫びのような気がする。その男とつがえという自分の核からの命令。でも中二のわたしがそこまで考えたはずはなく、ただ生き物のメスとして、順調に繁殖への準備をしていたということだと思う」
人を好きになるということは、細胞や遺伝子が全力で「この人よ!」と教えてくれることなのかもしれない。身体すべてで、その人が欲しいと願うことなのかもしれない。
読んでいるとページめくる手が止まらなくなって、皮膚が「ぞわっ」とする瞬間が何度もあって、あぁ、小説家はこういうふうに気持ちを表現できるんだって脱帽した。私が仕えている瀬戸内寂聴に「小説を書いてみなさい」と勧められるが、毎回小説家の表現力の豊かさと思いもよらない発想に感服して自分には到底無理だと思い知らされる。
最後のシーンは、由井と桐原の行く末が冒頭の由井の現在の様子から想像はついていたけれど、少しでも何か淡い期待を抱いていた自分がいたので、この結末はわかってはいたけれど私に深いため息をつかせ、全身の力をふっと緩ませた。
出来れば後悔なんてしたくないけれど、読後にはこの「冷っ」とする想いを持ち続けるのも悪くないと思えた。今も、由井と桐原の運命を思い出すと、全身の毛穴が開いてなんだかヒリヒリする。タイミングが少しでもずれると二度と会えなくなってしまう。その誰のせいでもない運命になんだか泣きたくなる。以前聞いたことのあるフレーズが頭によぎる。
「初恋は実らない」
だからきっと一生、初恋は輝き続け、今でも時々、私の胸をチクチク刺してセンチメンタルにさせるんだ。
ー今月のつぶやきー
朝の生放送が終わって「ホッ」としている二人
『1ミリの後悔もない、はずがない』新潮社
一木けい/著