あなたに過去のセックスを思い出させる、生々しき刺激小説『1ミリの後悔もない、はずがない』

佐伯ポインティ エロデューサー

『1ミリの後悔もない、はずがない 』新潮社
一木 けい /著

 

文章のかたちをした初体験だ、と思った。
文章のかたちをした不倫だ、とも思った。

 

『1ミリの後悔もない、はずがない』(一木けい)を読んで、そう思った。

 

生々しく性を描くことによって、人生を描く作品が好きだ。
そもそも僕は、生々しい性が大好きなのだ。

 

バーで、飲み屋で、道端で、駅前で、ラブホテルの周辺で。
ああ、これからセックスするんだろうな、という二人組を見ると、僕は凄く見入ってしまう。
(失礼だが、きっともう会うことはないので、遠慮なく見れるだけ見ることにしている。)

 

2人は明確に意志を持っていちゃいちゃしてる場合もあるが、大抵はそうじゃない。
でも、ドキッとするほど見つめたり、頷いたり、触ったり、笑ったり、している。

 

羨ましい、という気持ちとはちょっと違う。
2人から立ち昇ってくる、セックスしてないけどセックスする寸前、という雰囲気が好きなのだ。
服を着てるのに、色っぽい。今そこにある欲情は本物だ、と思う。そんな生々しさに惹かれて見てしまうのだ。

 

この小説に込められている情欲も、本物だ、と思う。
身も心もどっぷり好きな人への欲望が、驚異の解像度で描かれている。

 

 

この小説を読んでいると、思い出さずにはいられない。

 

はじめて好きな人と付き合ったこと。
その人と別れてしまったときのこと。
他の人のことを考えながらセックスしたこと。
誰かに関係を隠しながらセックスしたこと。

 

むき出しの臓器が外気に触れているように、読んでいるとヒリヒリとする。
初恋、嫉妬、不倫。他人に見られたくないような感情が、詰まってる小説なのだ。
そして、小説の中で登場人物が剥き出しにした感情が、こちらに向かってくる。

 

そうして向かってくる剥き出しの表現は、とても艶っぽい。最初の短編から抜粋して紹介しよう。
主人公の由井と、彼女の初恋の人、桐原。2人の初体験が終わったあとのシーンだ。

 

放心していると、桐原がもどってきた。手にはバスタオルを持っている。桐原はトランクス一枚だった。青いきれいなトランクス。制服を着ていた彼とは別人で、大人の男の人みたいに見える。裸の男の人というのは、物悲しいなと思った。

 

桐原が敷いてくれたバスタオルに座ると、夢みたいにふわふわしていた。向かい合うように座ってから「ねえ」と桐原は言った。「なんでそんなに早く服を着ちゃうの」

 

「はずかしいから」

 

「もっと見たい」

 

「やだよ。ほかの女子よりおっぱいちいさいし」

 

桐原はまじめな顔で首をふって、短く褒めた。それはわたしにとって賛美のように響いた。

 

大きな手が服の中に入ってくる。ごつごつした掌に、すっぽりつつまれた。桐原はあぐらをかいて、じっとわたしを見ている。顔があまりに熱いので目を伏せると、トランクスからにょきにょきと伸びてくる性器が見えた。理科の授業で、植物の成長の早回しビデオを見たときのことがよみがえる。その動きは、わたしに身震いするような感動をもたらした。わたしは桐原に求められている。目の前の愛しい男は今、わたしに受け入れてもらうことだけを渇望している。ずっと探していたものはこれだったんだ。わたしはその植物に手を伸ばす。撫でてみる。つばを飲み込む音が立った。わたしのものか、桐原のものかわからない。顔を上げると、桐原のうつくしい喉仏がコリ、コリ、と動いた。

 

(「西国疾走少女」『1ミリの後悔もない、はずがない』)

 

小説という媒体の特徴は、「言葉を脳でイメージして、考えながら読むものである」ことだろう。
この小説を手に取れば、色っぽくて、生々しい感情で、脳みそがいっぱいになる読書をすることになる。
感情と情景によって、自らの記憶が刺激される。

 

僕はこの小説を読んで、自分の人生と交わらなくなった、かつて、いやらしい欲を見せ合った人の人生を想像した。

 

相手は、どうなっていても別に構わない。
復縁したいとも思わないし、もう一度セックスしたいとも思わない。
自分では後悔は全くない、と思っていた。
しかしこの作品は、ひっそりと、小説のかたちで問いかけてくる。

 

「うしなった人間に対して一ミリも後悔もないということが、ありうるだろうか。」

 

瞬間瞬間、考えたり想ったり判断したり行動したりして、人間は今を生きている。
今の自分と、過去の自分は違うと、多くの人が断言できると思う。
たとえば、常に5年前を振り返りながら今を過ごす人は少ないだろう。

 

しかし、「今の自分」は積み重なった過去がつくるのである。
それは恋もセックスも同じだろう。
いつかの今を捧げた他人との性の交わりが、今の性をかたちづくっているのだ。

 

それは普段、思い出されることはない。今に集中している。
だが、過去の記憶や感情は、刺激によって思い出される。

 

うしなった人間への後悔はゼロだ、と即答で言い切れる人こそ、読んでみたらいい。
そして、刺激されてしまう快感を味わってほしい。果たして、1ミリの後悔もないだろうか。

 

ー今月のつぶやきー

「太りすぎてこれ以上足が上がりません」

 

『1ミリの後悔もない、はずがない 』新潮社
一木 けい /著

この記事を書いた人

佐伯ポインティ

-saeki-pointy-

エロデューサー

早稲田大学文化構想学部を卒業後、クリエイターのエージェント会社コルクに漫画編集者として入社。2017年に独立し、男女楽しめるエロスのあるコンテンツをつくる「エロデューサー」として活動中。ポジティブに猥談を楽しむ人が集まる「猥談バー」というイベントをしたり、様々な性癖・性体験の人をインタビューし「猥談タウン回覧板」というメルマガを配信したり、エロい仕事ばかりしている。1993年、東京生まれ。


・Twitter:@boogie_go
・「猥談タウン回覧板」:http://www.mag2.com/m/0001681859/index.html
・「猥談バー」:https://note.mu/hidetake/n/n2478e24cd17e
・ヌード展:https://note.mu/hidetake/n/n28a731c94a19

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