空間は幻想かもしれない『大栗先生の超弦理論入門』

長江貴士 元書店員

『大栗先生の超弦理論入門』講談社ブルーバックス
大栗博司/著

 

本書は、物理学者の多くが追い求めている「万物理論(自然界に存在する4つの力を統一的に記述する理論)」の候補と成りうる「超弦理論」についての本です。とはいえこの「超弦理論」、超絶的に難しい。本書を順序立てて読めば、ある程度は理解できると思いますが、僕も「完全に分かりました!」という状態とは程遠いし、日常感覚からかけ離れた話が満載なので、受け入れ難い部分もあります。

 

というわけでここでは、「超弦理論」そのものについては、ほぼ何も書きません。

 

じゃあ何について書くのか。それは、僕が本書を読んで最も衝撃を受けた部分であり、それが発表された際、世界中の研究者を驚愕に陥れたという、「空間は幻想かもしれない」という話についてです。

 

とはいえそもそも、「空間は幻想かもしれない」という文章の意味がまず理解できませんよね。そこでまずは、「温度」についての話をしたいと思います。

 

僕らにとって「温度」は、実に馴染み深いものです。天気予報で気温を知り、病気になれば体温を測り、料理ではオーブンの温度が重要です。僕らは温度というものを通じて、世の中の「熱さ」「冷たさ」を理解しているし、それ以外の日常的な指標は知りません。

 

しかしこの「温度」は、僕らの幻想でしかないのです。

 

19世紀に、熱や温度を研究する「熱力学」という分野が生まれました。そして19世紀後半になると、熱や温度を「分子の運動」という観点から捉えるようになっていきます。そして、分子のレベルでは、「温度」という概念が消えてしまう、ということを発見します。僕らが「温度」と呼んでいるものの正体は、実は「分子のエネルギーの平均値」でしかありません。分子は個々にランダムに運動していて、一個一個が持つエネルギーはバラバラですが、それら全体の平均というのは常に存在していて、それらが僕らには「温度」として感じられる、ということなのです。

 

つまり「温度」というのは、「分子のエネルギーの平均値」という、より根源的なものから導き出される二次的な要素でしかない、ということなのです。

 

「空間は幻想かもしれない」という文章も、同じ意味を持っています。つまり、「空間」というのは、まだ人類が捉えていない、何かより根源的なものから導き出される二次的な要素でしかないのではないか――超弦理論の研究によって、そんな疑問が導き出されてしまったわけです。

 

さてここで、少し話を変えましょう。「空間は幻想かもしれない」という本題に入る前に、まずは「空間というものが物理学の歴史上どのように捉えられてきたのか」という点について触れてみたいと思います。

 

古代ギリシャの時代から、「空間は、その内部にある物質と独立に存在しているのか」が議論されてきました。アリストテレスはこれに対し、「自然は真空を嫌悪する」、つまり、物質で満たされていない純粋な空間など存在しない、と主張し、空間は物質と独立して存在するものではない、と結論づけました。

 

この考え方は、2000年もの間ヨーロッパを支配し続けましたが、それに革命をもたらしたのがニュートンです。ニュートンは「絶対空間」という概念を導入しました。これは、空間とは自然現象の入れ物であり、その中で何が起こっているかに関係なく存在する、という考え方です。これは、僕らが一般的に「空間」に対して持っているイメージとほぼ同じと考えていいでしょう。

 

ニュートンの考え方は、その後300年ほど物理学の世界を支配しますが、それを覆したのがアインシュタインです。アインシュタインは、自身が生み出した「相対性理論」の中で、空間は観測者によって伸び縮みする、と主張しました。具体例を短く説明するのが困難なので省きますが、どれだけ僕らの日常感覚からズレていようと、現在はこの描像が「空間」における正しい認識、ということになっています。

 

そのような現状の中、「超弦理論」は新たな「空間」の捉え方をもたらしました。ちなみにこの「超弦理論」は、まだ理論としては認められていません。非常に精緻で美しい理論とされていますが、物理理論が正しいと証明されるためには、何らかの予測をし、その予測が実験(あるいは観測)結果と合致しなければなりません。「超弦理論」はあまりにも小さな世界に適応される理論であるが故に、まだその検証がなされていません。なので、いくら「超弦理論」が「空間」について新しい見方を提示しても、理論として認められていない以上、まだアインシュタインの描像を覆す、という段階にはありません。

 

それでは、「超弦理論」を研究することで「空間」についてどんなことが分かったのかを見ていきましょう。

 

まず「超弦理論」は、研究の過程で、ちょっとずつ違う5種類の理論が発見されました。この5つの理論は互いに関連し合っているのですが、その内の1つをとりあえず「A理論」と名付けることにしましょう。ちなみに「超弦理論」はすべて、9次元の空間でしか成り立たない理論です。

 

一方「超弦理論」とは別に、「10次元の超重力理論」というものが発見されていました。詳細の説明は僕には不可能ですが、研究者はこの理論をどう理解すればいいか分からずにいました。

 

そうした状況である革命が起こります。「A理論」と「10次元の超重力理論」の間に関係性が発見されたのです。

 

物理学では、電荷のように素粒子間に働く力の強さを表す量を「結合定数」と呼びます(そういう量があるんだな、と思ってもらう程度で大丈夫です)。そして、

 

【9次元でしか成立しない「A理論」は、結合定数を大きくすると、10次元でしか成立しない「10次元の超重力理論」になる】

 

ということが分かったのです。つまり、「結合定数」の大きさを変化させるだけで、次元が増えたり減ったりする、というのです。

 

これは日常的な捉え方をすると、こんな風に喩えられるかもしれません。あなたは絵(=2次元)を描いているとしましょう。しかし、線を太くする(これを「結合定数を大きくする」に対応させます)と、紙の上に描いていたはずのものがいつの間にかフィギュア(=3次元)になるのです。そう考えると、ちょっと凄いと思いませんか?

 

僕らは「空間」を「次元」という要素で捉えています。しかし「超弦理論」は、「結合定数」の大きさを変えるだけで「次元」が変化してしまうことを示唆します。線の太さを変えるだけで、絵になったりフィギュアになったりする世界だとしたら、そもそも「空間」って何なんだろう?と感じるはずです。そして実際に、「超弦理論」の研究から、そういう疑問が湧き上がってきたのです。本書を読んで、この話に一番衝撃を受けました。

 

ここでは「超弦理論」のほんの僅かな側面しか取り上げていませんが、本書には刺激的な話がバンバン登場します。例えば「超弦理論」は、物理学史上初めて、成立する「次元」が限定される理論です。これまで、「ニュートン力学」や「相対性理論」や「量子論」など様々な物理理論が登場しましたが、それらはどれも、3次元だろうが5次元だろうが100万次元だろうが成立します。しかし「超弦理論」は、9次元空間以外では成立しないのです。それだけ取ってみても、研究者を熱狂させるに足る理論なわけです。

 

僕らが生きている世界は3次元なんだから、9次元でしか成立しない「超弦理論」なんか考えてても無意味では…と思ったあなた。もちろん、その疑問の答えも本書に書かれていますので、是非チャレンジしてみてください!

 

『大栗先生の超弦理論入門』講談社ブルーバックス
大栗博司/著

この記事を書いた人

長江貴士

-nagae-takashi-

元書店員

1983年静岡県生まれ。大学中退後、10年近く神奈川の書店でフリーターとして過ごし、2015年さわや書店入社。2016年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)の表紙をオリジナルのカバーで覆って販売した「文庫X」を企画。2017年、初の著書『書店員X「常識」に殺されない生き方』を出版。2019年、さわや書店を退社。現在、出版取次勤務。 「本がすき。」のサイトで、「非属の才能」の全文無料公開に関わらせていただきました。

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