2022/03/24
藤代冥砂 写真家・作家
『ヒクソン・グレイシー自伝』亜紀書房
ヒクソン・グレイシー/著
武士道、というものがある。
それを書名とした、世界的にも有名な本をいまだに読んでいない私が、武士道を語ることはできないのだが、多くの未読者にとって武士道とは、崇高ではあるが、侍が活躍した古き時代のもので、現代日本とは重ならないと感じているのではないか。おおよそ、今の日本人の心からは消えてしまった栄光のようなもの、そんなものに違いない。
だが、海外に目を向ければ、この武士道が、今なお日本人の精神性を象徴するものとして捉えられているのを、散見する。そればかりか、その武士道精神を学ぼうとしている外国人は、結構多いような気がする。
本書の著者である、ヒクソン・グレイシーは、90年代の格闘技ブームを通った人々にとって伝説的な人物であり、400戦無敗という代名詞を伴って、多くの人の記憶の中に武神的な存在としてあると思う。かく言う私にも、古今東西の偉人たちに比肩するような、圧倒的な存在感があって、好き嫌いを超えている。
彼が格闘技の才能だけでなく、生きることに何かを見つけ求めようとする求道家であること、そして書くことにも長けていることは、すでに知っていた。
ヒクソン・グレイシー自伝、という厚みのある本書を手にした時に、すでにこの中には、心を動かすものがたっぷりあることは分かった。本好きには、そういうことが時々訪れる。古書店、新刊書店などで実物の本を手にする時に、その価値がはっきりと感じられる経験を多くの本好きは持っているはずだ。
そもそも、私は「自伝」「伝記」というものが好きで、幼少時に書店で叔母に好きな本を選びなさい、と言われて選んだのが「エジソンの伝記」だったことは、今でもなぜか覚えている。その後も愛読書といえば、伝記だった。小学生の頃から、人の人生というものに興味津々だったのは不思議だが、そこにある生きることの意味や長さや短さに、私は本当のことを知ろうとする好奇心が満たされていたのだろう。
話は迂回したが、本書は、本人の言葉によって描かれた半生記という点で、まず私の心を満たした。彼がグレイシー柔術を通して、どう闘ってきたかを知るだけでなく、隠すことなく当時の心境や状況を語り尽くしているということで、ある格闘家のマニアックな解説本を超えて、どう生きるべきかについて深く考えさせられる自己啓発的な面も前に出ている。
いや、こういう言い方だと、やはりありふれてしまうのだが、闘うことを通して、他者と自己との関係の凝視力、目的を達成するための日常の作り方、失うことを乗り越えていくことなどが、ぎっしり詰まっていて、読後もこの本は身近に置いておきたいと思わせるものだった。
だが、本書への賛辞の一方で、私個人として、武士道に傾倒していたヒクソンが、なぜ闘いの最中に、特に相手を追い詰める時に、顔をしかめるのかが疑問としてあった。勝手な思いでは、武士は無表情に相手を切り倒すような気がしているので、そこが不思議だった。
本書の口絵写真でも、結構顔を歪めているのだ。実際の闘いの映像などでは、無表情に相手との距離を詰めていく時のヒクソンは、この上なく不気味で怖いのだが、フィニッシュに入る時は、結構表情豊かで、心の中が顔に出ている。
この疑問は、愚問なのだろうけれど、私はなんとなく、そこにヒクソン・グレイシーという人物がいるような気がしている。ピント外れなことを言っているのだろうけれど、この素晴らしい自伝が触れていない数少ない何かかもしれない、と読後に感じた。
『ヒクソン・グレイシー自伝』亜紀書房
ヒクソン・グレイシー/著