潜水艦が舞台の小説には極上のミリタリーアクションと胸に迫る浪花節が似合う!

金杉由美 図書室司書

『脱北航路』幻冬舎
月村了衛/著

 

 

書店員だった頃、読書は仕事の一環だった。
好みにあわなくても、我慢して黙々と義務的に最後まで読み通していた。
本屋を辞めた今は、読みたい本だけ読めばいい。
それなのに、気がつけば「つまんねーなー」と思いながらも仕方なく読んでいて、ああそうだよそうだよ読みたくなければ読まなくていいんだよと慌てて本を閉じることがある。
長年しみついた習性は怖い。
途中で止める勇気って大切です。

 

本書も正直なところ読み始めの数ページは気が乗らなくて、登場人物の名前が覚えにくい!北朝鮮の軍の階級とか部署の名称も馴染めない!読むの止めようかなー、なんて思っていたのだが。だが、しかし!

 

朝鮮民主主義共和国の謎の別荘に、総政治局上佐の辛吉夏が来訪する。
その別荘に幽閉されている「兒107号」を移送する旨の、金正恩総書記の命令書を携えて。
辛吉夏は、国務委員会のエリートだった叔父の不正蓄財を密告して栄達の道をつかんだ冷酷な男として知られていた。
兒107号と呼ばれる初老の女性を連れだした彼は、合同演習に赴く潜水艦に密かに乗船させる。
その目的とは何か?兒107号の正体とは?

 

このあたりから物語は加速を始め、俄然面白くなってきた。
登場人物の名前もなんとなく記憶できてきたし、部署や階級は気にしなくても問題ないことも理解できてきたし、そもそも次から次へ展開するエピソードへのドキドキハラハラで脳内が活性化してくる。

 

命令書が偽造だったことが発覚し、保衛司令部から演習統制本部へ潜水艦の発進を阻止せよとの命令が下り、間一髪で潜水艦が出港潜水し、潜水艦の艦長が乗組員一同に対して宣言する。
「我々は母国を捨てる。目的地は日本」

 

兒107号とは45年前に日本から拉致された少女「広野珠代」に与えられた暗号名。
亡命を決意した辛吉夏は艦長と計画を練り、日本に受け入れてもらうための切り札として拉致被害者の象徴である彼女を奪還し乗艦させていたのだ。
「日本国民は必ず本艦を受け入れる。少なくとも広野珠代を犠牲にするような決定を日本人は絶対に認めない」

 

乗務員たちそれぞれの、脱北にいたった理由。祖国や軍への絶望。犠牲にしてきたものへの悔恨。それらがドラマティックに語られる。
一方で、日本で拉致被害者「広野珠代」をずっと忘れられずにいた人々の物語も織り込まれていく。あの時に自分が行動を起こしていれば拉致は防げたのではないか。そう思い続けていた関係者たちにとって「広野珠代」という名前は記憶に刻み込まれた消えない傷なのだ。
しかし日本政府は45年間見て見ぬふりをすることによって、その記憶を無視し続けてきた。今日この時までは。

 

脱北を阻止しようと空から海底から続々と襲いくる北朝鮮軍。
攻撃で受けた損傷を必死に修復しながら冷静な判断と巧妙な操艦で逃げる潜水艦。
息継ぐ間もなく猛スピードで展開される攻防戦。
同時に狭い艦内で繰り広げられる人間ドラマ。
彼らは無事に日本にたどり着けるのか?日本政府はこの事態にどう対応するのか?
はたして平野珠代は、45年の時を経て父母の待つ故郷に帰ることが出来るのか?

 

「お父さん、お母さん……日本に帰りたいよっ」

 

どうにもこうにも心揺さぶられて、気がついたらラストまで夢中で読んでいた。
キレのいいエンターティメント。極上のミリタリーアクション。胸に迫る浪花節。
おすすめします!

 

こちらもおすすめ。

『終戦のローレライ』講談社
福井晴敏/著

 

潜水艦を舞台にしたエンターティメント、で最初に思い出すのがこれ。
フランス、ドイツ、日本と接収を繰り返された流浪の潜水艦 伊507。
ナチスが開発した「ローレライ・システム」を搭載したこの大型潜水艦と搭乗員たちの運命が描かれる。潜水艦には群集劇と浪花節が実に似合う、と再認識。

 

『脱北航路』幻冬舎
月村了衛/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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