ryomiyagi
2022/06/23
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2022/06/23
漫画界のレジェンド・藤子不二雄A先生が、今年の4月に旅立たれました。享年88歳。かつて藤子不二雄のブームがあり、あのころの書店には、藤子マンガの単行本がずらりと並び、テレビでは“毎日”アニメが放映されていて、町はキャラクターグッズであふれていました。藤子関連の何かしらに触れない日はなかったので、今の40代以上は、生活の一部として子供時代を過ごしていた人も多いことと思います。かくいう自分もそのひとり。そんなブームの最中、藤子不二雄A先生がつづった『トキワ荘青春日記』(1981年・光文社)は出版されました。
トキワ荘は、言わずと知れた漫画界の礎を築いた重鎮・手塚治虫、藤子不二雄(A・F)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫etc……の各先生らが若かりしころに住んだアパートで、当時は手塚先生を除けば、ほぼ無名の漫画家の集まりだったのです。彼らは、このオンボロアパート(諸説あり)で切磋琢磨を繰り返し、やがて日本を代表する漫画家に育っていったといわれます。つまりトキワ荘は、現代に連なるマンガの源が育まれた場所で、そのトキワ荘に住まわれていた藤子不二雄A先生の7年間の日記をまとめたものが、『トキワ青春日記』なのです。同時期に、ドキュメンタリー番組『わが青春の「トキワ荘」』(NHK)や『ぼくらマンガ家トキワ荘物語』(フジテレビ)も放映されましたので、この時期にトキワ荘を初めて知った人も多かったのではないでしょうか。
その『トキワ荘青春日記』が6月22日、装いも新たに復刊されました。今回は、先生が描かれた名作漫画『まんが道』を挿し絵に使用するという新たな試みがプラスされ、日記の臨場感をいっそう強く押し出したつくりになっています。聞くところによると、このアイデアは先生みずからの発案によるもので、4度目の出版になる今回、すでに読んだことのある読者でももう一度楽しめる形で提供したいという、サービス精神によるものとか。さすがです! 確かに『まんが道』の情緒あふれる画が加わることで、エピソードのひとつひとつが読む者の頭の中で鮮やかに像を結び、ひと味違った趣きです。
そんな今回の『トキワ荘青春日記+まんが道』ですが、じつは『まんが道』と実際の日記には、いくつかの相違点が存在しているのをご存じでしょうか?
大きなところでは、高岡から上京の時期が異なる点が挙げられます。『まんが道』では雪の降る中、汽車に乗って旅立つ藤子不二雄(A・F)おふたりの姿が情感豊かに描かれていますが、日記での上京日は「6月28日」とあり、約半年のズレがあります。本来であれば雪景色などありえません。これは1979年の漫画連載当時、掲載時期が12月だったため、その季節に合わせて話を紡いだことにより起きた相違と思われます。
また、たくさんの仕事を抱えて帰省し、気が抜け、ほとんどの原稿を落としてしまったという、知る人ぞ知る通称「原稿落とし事件」も、現実にはお正月の出来事ですが、『まんが道』では夏の描写になっています。終戦と重なり、絶妙な“終わり感”を漂わせていました。
季節を変えて描いた本当の理由は、今となっては知るよしもありませんが、(当時の掲載誌の)読者に、より臨場感を味わってもらえるよう現実の季節に寄せたものと思われます。おもしろがらせるためなら徹底的に(ときに嘘もいとわず)突き詰めるA先生であれば、ありえそうな話ですよね?
また、『まんが道』にはまったく描かれていない先生の3歳年上のお姉さんが、日記ではたびたび登場する点も見逃せないポイントです。じつは、マネージャーとしてずっと先生を支え続けられた方で、トキワ荘の時代から、先生方を陰でサポートしていました。そのお姉さんに子供ができたと知ったときの日記では、「姉八月ごろ赤ちゃんできるとのしらせ。奇妙な感じす。オレ、叔父さん」と、さりげなく当時の心境を吐露しています。
『まんが道』は、史実をもとにしながらも、その時々のA先生の思いが込められたフィクション。一方の『トキワ荘青春日記』は、先生のトキワ荘時代の記録と気持ちを封じ込めたタイムカプセルのようなもの。そのふたつをドッキングした本書は、これまでにない特別な輝きを放っています。もちろん、それぞれ個別に読んでも楽しい作品であり日記ですので、興味を抱かれた方はぜひ!
文・目黒広志
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