「膿がどろどろあふれ出すような」危険な小説

金杉由美 図書室司書

『私の盲端』朝日新聞出版
朝比奈秋/著

 

 

女子大生の涼子が多目的トイレに入り、排便処理をするところから物語は始まる。
彼女は癌を患ったため手術で直腸を切り取り、代替に腹部に排泄口を造ったオストメイト(人工肛門保有者)だ。
腹部につけたパウチに溜まっている便を棄てて洗い流す作業手順が、淡々とした筆致で執拗に、克明に、描写される。その異様な迫力たるや。思わず息をのんでドン引きしてしまうような規格外の圧。

 

自分の人工肛門(ストーマ)に対して「悲しい」「つらい」などの悲劇的で切実な感情だけではなく、好奇心というか愛着というか臭いものをわざと何度も嗅ぎたくなる心理というか、そういう欲望にも似た感情を持っている主人公。
自分の内臓との間の奇妙な距離感。
闇が深い。

 

そしてそれ以上に、主人公のバイト先である飲食店の闇も深い。
何しろこの店、従業員たちの人間関係や言動が異常にエグい。
味の濃さと脂の多さで中毒的な常連客を獲得しているらしき人気店。二郎系っぽいけどラーメン屋ではない。厨房に汗まみれでぎゅうぎゅうに詰まったコックたちが強権をふるい、従業員同士のセクハラは当たり前、歴代の店長はイジメにあって毎晩残飯をむりやり食べさせられて肥えていく。
なんなの、この店。怖すぎる。

 

最初から最後まで徹底的に過剰で、やり過ぎ感満載。
闘病小説などという範疇に決しておさまらない、むせかえるようなフェチズムに満ちた作品。実際にオストメイトとして暮らす人たちが読んだら、きっと嫌な気分になるだろう。パンパンに腫れた傷口を爪でギューッと押すと、痛痒さが走って、白く濁ってぬらぬらとした膿がどろどろあふれ出してくる。そんな露悪趣味を感じさせる危険な小説なのだ。
だから、生理的にそういうものを受けつけない読者には決しておすすめできない。

 

人工肛門という「盲端」を介して、通常は決して目にすることのない自分の内臓を見つめる主人公。その心の中にむくむくと湧き上がる生々しく猛々しい何かは、たぶん生命力というやつだ。
生命力って生臭くって不穏。
しかし、絶望よりは間違いなく役に立つ。

 

併録の「塩の道」は林芙美子文学賞受賞作。
雪深い漁師町の診療所に赴任した医師の物語。
これもまた、患者として訪れる漁師たちのフリーキーで獣のような迫力が壮絶。
二作を続けて読むとドッと疲れる。体力と気力を要求される読書体験なので、くれぐれもご注意を。

 

こちらもおすすめ。

『癌だましい』文藝春秋
山内令南/著

 

末期の食道癌患者が主人公。
物理的にものが食べられない喉を通らないのに、食べることに執着する餓鬼地獄のような日々。ネガポジが反転し、癌によって生かされている奇怪さ。独り暮らしの家で朽ち果てていきながら、食欲だけが彼女の中で別の生き物のように活き活きと蠢いている。
著者はこの作品で文學界新人賞を受賞したが、受賞決定の数日後に食道癌で逝去。
遺作となった併録の「癌ふるい」では、自分が末期癌であると知人たちにメールで知らせたあとの返信を主人公が「採点」していく。
これもまた読者の心に深い爪痕を残す、恐ろしく得体の知れない物語。

 

『私の盲端』朝日新聞出版
朝比奈秋/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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