2022/07/20
馬場紀衣 文筆家・ライター
『春、死なん』講談社
紗倉まな/著
身体は歳を重ねるごとに老いていくのに、心だけは変わらず性に焦がれているから、どこに心を置いたらいいのかわからない。自分のなかに感じる、居心地の悪さ。本書は、そうした不自由な自分から逃げられずにいる高齢者、そして、彼らの行き場のない孤独がほぐされていく様を描いていく。
ここには2編の小説が収められている。『春、死なん』は、長年連れ添った妻を失った70代の男性、富雄が主人公。最近の悩みは「瞳に油でも塗ったかのように世界がぼんやりと朧げに霞んで」見えること。しかし眼科医に相談しても異常はないと点眼薬を出されるだけだ。それどころか、精神科医を紹介される始末である。ゆっくりと買い物をして時間を潰し、家に帰ればソファに座って真っ黒いテレビ画面を眺める。息子一家は同じ敷地に住んでいるが、ほとんど交流はない。富雄はいまや一人だ。言い換えるならそれは、自由、ということでもある。ところが淡々と繰り返される日常には、匂いたつほどの孤独が漂っている。富雄はまるで何かを埋めるように、自室で自慰行為を繰り返す。
「アダルト雑誌のページの間に挟まれた出会い系のサイトや結婚相談所の広告を見ても、富雄の心が揺れ動くことはなかった。孤独に性欲が重なりあい、膨張していく下腹部だけが、別の器官のように機能する。そこには生きている現実ばかりがとことん突き付けられ、しかしながらやり場のない虚しさは波間に漂い、本当はどこへ行くべきなのか、その方角すら見失ったままである。」
そんななか、学生時代に一度だけ関係をもった女性と再会したことで物語は動き出す。身体をきしませるようにして性を発散する富雄の姿が、孤独にもだえる一人の人間の姿と重なる。
「細胞にまで汗をかいたように全身が熱い。鼓動と脈が激しく荒々しく波打っている。久々の感覚だった。よかった。生きている。」
『春、死なん』では男性の性が濃密な文章で綴られているが、もう一つの作品、『ははばなれ』は女性の性を主題にした物語となっている。
こちらは20代の女性、コヨミが主人公。物語は、夫と実母と三人で早くに亡くなった実父の墓参りに向かう場面から始まる。帝王切開の際にできた手術跡を気にする母親を前にして彼女は、自身の子ども時代を思い出す。印象的なのは、家族でプールに出かけた場面だ。コヨミは、更衣室から出てきた母親の腹部の、赤黒く接合された線に罪悪感を抱く。
「プールにじっと浸かったままそのことを考えていた。あれだけ心待ちにしていた日なのに、楽しさも体温も次第に吸いとられていき、私は身震いした。母にあんな傷をつけるような生まれ方をしてしまって、今さらどうしたらいいのだろう。」
子育てに消極的な夫の寝顔を見つめながらコヨミは生理の回数を減らすために飲んでいる避妊薬のこと、産み育てるという役割を与えられた自分の性別や「産むこともないのなら弔われることもなく、ずっと空っぽの胎内」について考える。
老人の性と母の性、それを見つめる若い女性の眼差し。性別も歳も離れた者同士だが、誰もが自分の性と自分の身体のあいだで苦しみ、抑圧されながら生きている。それはまた、どこにでもいる人たちがみせる、日常的な光景でもある。
『春、死なん』講談社
紗倉まな/著