浅田次郎が久しぶりに、読者を真正面から泣かせに来た!

金杉由美 図書室司書

『母の待つ里』新潮社
浅田次郎/著

 

 

ああ、久しぶりの、真正面から泣かせに来た浅田次郎。
「母」「ふるさと」「熟年」「孤独」「生きがい」
そんなキラーワードが巧妙に組みこまれた、狙い撃ちの一冊。
わかっていても涙腺が崩壊してしまう、熟練の技が冴えわたる逸品。
こういう作品を読むときは眉に唾つけたり斜に構えたりしないで著者のテクニックに身を任せるのが吉。騙されたと思って気持ちよく騙されてみてほしい。

 

物語は、ある男が40年ぶりに故郷に帰る場面から始まる。東北、岩手と思しき鄙びた里。
駅に降り立った男に、通りがかりの車から老人が親しげに声をかける。
「お久しぶりだなっす」「お母さん、首さ長ぐして待ってるど」
しかし、男はその老人に見覚えがない。
たどり着いた茅葺きの南部曲がり家では老婆が出迎える。
「きたが、きたが、けえってきたが」
その老いた母にも覚えはないが、まるで天から降り落ちてきたようなおふくろだ、と男は思った。

 

怪しい。こいつは、ただの里帰りではあるまい。不穏とまではいわないが不審。
何が起こっているのか?

 

実は、これはカード会社のプレミアム会員向けのサービス。
年会費35万円のブラックカード会員だけが参加可能なユナイテッド・カード・プレミアムクラブ「ホームタウン・サービス」は、完璧なふるさとを提供してくれる旅行プランなのだ。どこかにありそうでどこにもない心の故郷を、一泊二日50万円で訪れることができる。

 

大手食品会社の社長、定年と同時に熟年離婚されたビジネスマン、母を亡くしたばかりのベテラン女医。それぞれ孤独をかかえる3人が、ホームタウン・サービスに癒されていく。
偽物とわかっていても、母のこしらえる食事は、「何があっても、お前の味方だがらの」という言葉は、背の曲がった小さな姿は、彼らをやさしく包みこむ。
彼らはみんな、このサービスを受けていることを秘密にしている。
なぜならば、お金を出してふるさとを買い求める人は、きっと淋しい人だから。
この老母のキャラクターが絶妙。

 

言ってしまえば単なるアトラクションのキャストなのだけれど、それでもなおかつ頭の先から爪先まで、「ふるさとで子供の帰りを待つ母」そのものなのだ。日本昔ばなしに出てくるような。日本人のイメージするおふくろの公約数的な。それでいてAIなんかでは絶対に作り出せない、本当の母性。
絶妙といえば、会費とサービス利用料の価格設定も現実味帯びすぎるほど帯びてる。
高いけれど、老舗超高級旅館の一番いい部屋で懐石料理食べたらこれくらいかかるかも、ってくらいの料金。いやらしいなー。実にいやらしい。流石としか言い様がない。
読み進むうち、極めて緻密に計算されたサービスに、読者も参加してるような気分になってくる。せっかくだから最後まで乗っかってみるといい。

 

そして結末。
著者もこの結末を加えるかどうか悩んだという。
でも、乗っかったまま最終ページにたどり着いた読者としては、感無量、ベストなラストシーンだった。

 

母の待つ里、あなたも一度訪れてみてはいかが?

 

こちらもおすすめ。

『本心』文藝春秋
平野啓一郎/著

 

貧困による格差が広がり、自由死という名の自殺が合法化した近未来。
母子家庭で育った主人公は命を絶ちたいという母の願いを理解できない。そして拒絶しているうち母は事故で急死してしまう。AIとして甦った母と語り合ううちに見えてくる、知らなかった母の別の顔、そして本心。ひとは周囲の状況や対する相手によっていくつもの異なる横顔「分人」を持っている。だからひとつの側面だけで判断されるものではないし、たとえそのひとつで躓いたからと言って絶望する必要はない。著者の提言する「分人」という概念がよくわかる物語。「記憶から再構築された母は、心の故郷に住む母なのか」ということについても考えさせられる。

 

『母の待つ里』新潮社
浅田次郎/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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