記憶をなくしていく、母であった祖母を見つめていた私

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『いつか あなたを わすれても』集英社
桜木紫乃/文 オザワミカ/絵

 

 

今年も桜が咲きました 薄桃色の花びらが風に舞い ふわり浮かんで飛んでいきます
桜を見ると思い出すのです 一年前のあの頃を
人々の足音が止み 草木が息を吹き返すように
あまりにもうつくしい色を芽吹かせていたあの頃のことを

 

あなたは、静かにこの世界を旅立っていきました
いえ、静かではありませんでしたね 
あなたは最期まで娘たちとおしゃべりをしていたそうですから
朦朧とする意識の中 娘たちのささやき声を「うるさい」と叱責したときもありましたね

 

さいごの、さいごのあなた 母に向かって 声にならない言葉をかけたのは
何を伝えたかったのでしょう 伝えかったことは声にはならずとも伝えられたでしょうか
きっとそれは伝わっています きっときっと 伝わっています

 

わたしとあなたのこと いまなら少し書き綴ってもいいでしょうか?
満開の桜を眺めるうち
出会った本が呼び水となって
あなたのことを思い出してしまったのです 

 

おばあちゃん あなたのことを少しだけ書いてもいいですか?

 

あなたとの思い出に わたしの心はいまでもちくりと痛みます
それは、子どものわたしとあなたの関係があまり良いものではなかったからです
家の中のこと、多くのことをしてくれていたあなたは
やさしくて気配りのできるひとだったけれど
感情の起伏が激しいところがありました
その波を その激情を わたしは些細なことで刺激してしまったようです

 

何日も口を利いてくれず 背中を向け続けるあなたの姿
怖かった 悲しかった 
そんなにひどいことをしてしまった? 考えても納得はできず
背を向けたまま 謝罪の言葉を待っているあなたが 憎いとすら思いました

 

あなたをいまさら 責めているのではありません
わたしに 幼さ 未熟さ ままならなさがもちろんあって あなたに不躾なことをしてしまったという自覚もあります
けれども やりきれない想いがありました
ちいさな体を拒否されること やわらかな心を切り裂かれること
怖くて悲しくて たまりませんでした

 

その傷は いまでもわたしに残っています 
わたしの心の深い部分を ときおり流れる血があります

 

でも もういいのです もう充分でした

 

あなたはさいごに偉大なことを成し遂げました 
いのちの終いを わたしに見せてくれました

 

さいごまで文句を言い さいごまで涙もろく 
いのち尽きるまでやわらかくあたたかな手を持っていたあなたの姿を
わたしは、思い返しています

 

あなたが大好きだった桜がちょうど咲いて 
ベットの上で 桜の枝を持たせてもらいましたね
痛む身体から自由になって 桜を傍らに抱き
うつくしい声でさえずりながら 空へと羽ばたいていきましたね

 

あなたは いのちを全うした姿をわたしに見せてくれました

 

『いつか あなたを わすれても』 
祖母との思い出がよみがえる春に わたしの瞳に飛び込んできた本でした

 

記憶をなくしていく 母であった祖母 
母である祖母の最期を見据える 子どもだったママ
記憶を失っていくおばあちゃんを 悲しさ さみしさ やるせなさで見つめるママ
それを見つめる 孫であり 娘であり 少女である 「わたし」

 

おばあちゃんも ママも わたしと同じ 少女だった
つぶらな瞳で世界を見渡し 様々なことを知り 
時には笑い 時には泣きじゃくっていた 少女だった 女性たち

 

あなたと、手をつないだこと 
ちいさなあなたにただ触れたくて、なんども手をのばしたの

 

あなたを抱きしめたのは ちいさなあなたを守るため 
でも本当は あなたの温もりが わたしを守ってくれていた

 

おばあちゃんは もう思い出をことばにできない
ママは その思い出を覚えていない
わたしは その時のふたりを知らないけれど 空の上から見ていたかもしれない
なんだかいいなって 見ていたのかもしれない
だからわたしたち 家族になったのかもしれないね

 

こぼれ落ちる記憶を ただ見つめることしかできないのは きっと辛いことでしょう
降ろされた荷物を拾い集めたら 今度はわたしが背負わなければいけないのでしょうか
でも
いつかわたしもそちらに行くから いつかことばよりも大切なことを渡すから
そうやって こうやって つづいてきた わたしたちだから

 

私が 一番乗りで向かうわねって おばあちゃんの声が聴こえるの
ときおり涙をこぼすママが おだやかな声で教えてくれたの

 

 「これは たいせつな たいせつな 
  わたしたちの じゅんばん」

 

ぱたんと本を閉じると 表紙の女の子の横顔に 少女だったわたしの姿が重なりました
何でも知りたいと思って なんでも知ってると思って
でも辛いことは知りたくなくて なんにも知らずに守られていた わたしの横顔です

 

いつかの少女だったわたし 大人になって 
あの頃には想像もできなかった世界を生きているわたし
ちいさな枠の、家族の中で 絶望して 荒れ狂って ボロボロになった心と身体で
不安を両手いっぱいに抱えながら 外の世界へ踏み出していった 過去があったとして

 

飛び出して 掴まれて 逃げ出して 
戻ってきたなつかしい場所には
わたしの帰りを待っている 大切なひとの顔がありました
そのひとたちに見守られて 世界を自由に泳ぎ回っているのだと知りました
不器用なひとびとが寄り集まって 必死に「家族」を形成していたのだと ようやく気づくことができました

 

今年も桜が咲きました 
あなたのいなくなった世界でも 変わらず桜はうつくしいままです

 

桜を見ると思い出します 過ごした日々の数々を 交わしたことばの数々を
怖かった あなたの姿もまだ少し思い出してしまいます 
けれどいまでは、あなたの笑みの方がよりいっそう思い出されます
わたしの名前を幾度となく呼んでくれた あなたの少し低い声がどこからか聴こえる気がします

 

あなたのつないでくれたいのちを受け継いだわたしは 
あなたとの日々の中で生まれた感情を糧にして 
いま、ことばを紡いでいます

 

あなたとの日々がなければ できなかったことでした
あなたとの日々があったから 飛び込めた世界でした

 

あなたがいなければ わたしはわたしを 生きることなどできませんでした

 

『いつか あなたを わすれても』集英社
桜木紫乃/文 オザワミカ/絵

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれの水がめ座。担当は文芸書、児童書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。1万円選書サービス「ブックカルテ」参画中です。本の声、きっとあなたに届けます。

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