2021/04/12
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『灰の劇場』河出書房新社
恩田陸/著
無数に立ち並ぶビルの狭間から見上げる空は、今にも雨が降り出しそうだった。梅雨の合間の雲に覆われた空。じきに降り始める雨は、ビルの灰色をより濃く染め上げるだろう。無機質さをいっそう際立たせるように、暗く濃く。建物の中にいれば決して雨に降られることはない。そこは安全で秩序の保たれた――しかし退屈な世界だ。実際の様子を窺い知ることはできない。けれど、そのような場所であると知っている。
ビルの中にいる、顔も名前も知らない人々。それを外から眺める私との間には深い深い隔たりがある。私は、私だけの顔と名前をもち、私の世界を見つめてきた。それは、私を私たらしめる唯一のものであるはずだった。
しかし、果たしてそれは本当だろうか。こんなことで、私の存在は確立されるのだろうか。私は次第に分からなくなってくる。「彼女」と「私」は、いったい何をもってして違うと言い切れるのだろうか。彼女と私を隔てるものは、本当にあるのだろうかと。
はじまりは、二十年前の三面記事だった。同居する二人の女性が、奥多摩の橋の上から投身自殺を図り、死亡した。記事には顔写真も名前も掲載されておらず、多くの人にとって、すぐに忘れさられてしまうような、新聞の片隅にひっそりと掲載された記事だった。けれど、この記事を目にした作家は、忘れない。いや、忘れることができない。作家の瞳に飛び込んできた、名もなき二人の女性の姿は、「棘」となって作家の内側に居座り続ける。
物語は、「二人」の女性の章と、作者である恩田氏自身を彷彿とさせる作家の章からなる。二人の女性の物語と作家自身の物語、そして過去と今が交差しながら、次第に「彼女たち」の姿が浮かび上がっていく。
二人の女性の物語。大学時代、親友だったTとM。二人はTの離婚がきっかけで再会し、同居生活を送ることになる。40歳を目前にした女性同士の同居には、様々な事情があっただろう。東京暮らし、上がり続ける家賃は重くのしかかり、女性一人で生きていくという心許ない現実が重さにさらに拍車をかける。一人で暮らしてきたMと、一人の時間をようやく持てたT。頼れる人はいない。けれどこれから一人で生きていくのは――。
Tは自身の結婚式で、舞い落ちた大量の白い羽根を眺めていたMの姿をふと思い出す。それは、彼女とMだけに見えていた特別な光景だった。なにより、二人で過ごした輝かしい思い出が、いまだ大切なものとして胸の中にあった。
Tは思い出し、想う。今、Mと言葉を交わしたい。
再会した二人の条件は合致した。いつか訪れる「その日」まで、二人はともに暮らすことになる。二人の日々は穏やかだった。時が経つにつれ、二人の日常が当たり前になる。
二人が死を選ぶまで。
作家の物語は自身に刺さった「棘」、あるいは「宿題」についての告白から始まる。会社勤めをしながらデビューし、連載作を得、専業作家になり、名誉ある賞も受賞した作家は、多くの物語を紡いできた。いくつかの「宿題」については描くことができた。けれど、「棘」については未だ書き記すことができずにいる。
しかしある日、編集者が「あの記事」を見つけてきた。自身の記憶とは異なる事実も含まれていたが、紛れもなく「棘」であり続けていたあの記事だった。なぜ、こんなにもこの記事が影を落とすのか、作家自身にも分からない。けれど、今こそこの「棘」について書かねばと思うに至るようになる。
初めて記事を目にしてから二十年あまり、二人が死亡した年齢を超える頃だった。
作家は、彼女たちについて巡らせる。出会った頃の二人の思い出は、空白の期間の各々の人生は。結婚の有無、家族との関係、二人が築いた関係性。
二人で暮らし始めてからの日々、過ごした年月。そして、最期の日。どんな食事をしただろう、どんな装いで部屋を出ていっただろう。どんな言葉を交わしただろう――
二人は、どんな顔をし、どんな名前で生きていたのだろう。
二人を物語に呼び起こすうち、やがて作家は彼女たちの幻影を見るようになる。能の舞台で、劇の最中で、夢と現実の狭間で――作家の眼前を曇らせるように灰色の羽根が舞い落ちる。それは、彼女たちからの警告のようだった。
頼んでいない / 望んでません
あたしたちは眠ってる / 眠ってた / 眠りたかった
作家にだけ聴こえる、彼女たちからの怒りをも孕んだ声。しかし、作家自身もこの劇場から降りることができなくなっている。自身が作り出した物語がどんなに危険な領域にまで踏み入っていたとして、想像主がその場所から逃げ出すことは許されない。逃げ出すことで彼女たちの魂を鎮められる時は、もうとうに過ぎ去った。
彼女たちの物語は、出会いから死に至るまで、作家が想像し、創り上げた物語だ。全てがフィクションと言っても過言ではないかもしれない。けれども物語は、本物以上に真実の顔を纏い、まるで本当にそのような人物だったかのようなリアルさを持って、読者に迫りくる。音も立てずにひたひたと、彼女たちがたしかにこの世界に生きていたという、息遣いまで感じられるほどに近く。
そして。
物語が進むほどに、想像せずにはいられなくなる。
たとえばこれが「私」の物語だったなら。不可解な死を迎え、何らかの事情ゆえにその死が匿名で報道される未来が訪れたならば。
私という一人の人間は匿名というベールを被せられ「どこかの誰か」という灰色の仮面に覆われたまま、あっという間に忘れ去られる存在になるのだろう。そう、作家が追い続けたTとMというイニシャルで語られる彼女たちと同じように。そこには、その人だけの人生があったはずだ。彼女だけが見てきた景色があったはずだ。しかし、どんな顔をしてどんな名前で生き、どのような人生を歩んできたのかなど、もう誰も耳を傾けない。言葉を失くした死者が真実を語る機会は永遠に訪れない。
名前のない彼女たちは、物語が進むほどに現実世界に触手を伸ばしてくる。彼女たちが息を吹き返すほどに、私たちは死の風に巻かれ、曖昧な彼女の輪郭は「私」の顔と同化し、まるで区別がつかなくなる。物語から滲み出た「死」の重さは、生身の肉体を持つ私に容赦なく圧し掛かってくる。
二人で暮らした部屋の扉が閉まる。鍵をかける。二人はともに歩き出す。二人の足取りは軽くもなく、重くもない。二人なら何も怖くない。そう、思ったのかもしれない。
彼女たちは二人で死を選んだ。二人で手を取り合って、死へと続く扉を開いた。けれど、彼女たちの人生は悲劇として語られるものだっただろうか。二人で死へと進んだことは、悲惨なことであっただろうか。彼女たちの物語を、真実とも真実でないとも言い切れないことに、一筋の希望を抱いてしまうのは、愚かなことだろうか。
分からない、分からないけれど。
でも。
名もなき「私たち」の物語が、無数に生まれ消えていく。今日も、過去にも、いつだって等しく。だからこそ、信じたい。誰しもの生が、誰しもの死が、物語となりえることが「救い」の可能性を秘めたものであるということを。
この物語が生まれたことが、その証明にならないだろうか。
『灰の劇場』河出書房新社
恩田陸/著