2021/04/09
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『ゲンロン戦記』中央公論新社
東浩紀/著
『ゲンロン戦記 「知の観客をつくる」』は、批評家である東浩紀氏が2010年に新たな知的空間の構築を目指して会社を立ち上げてから現在に至るまで、約10年間の歩みを振り返った本である。批評家として、社会のメインストリームで一定の地位と名声を得ていた著者が、その立場に居心地の悪さを感じて起業したものの、世俗的なゴタゴタに揉まれて、同じ過ちを何度も繰り消しながら、心身ともに疲弊していく様が包み隠さず描かれている。
預金を使い込まれる、見通しの甘さで大損を出す、人が離れていく……。著者が特別愚かだというわけでは全くなく、自力で起業した人は多かれ少なかれ、似たようなことを経験しているはずだ。私自身も、事業を法人化してからちょうど今年で10年になるので、本書で描かれている様々な失敗談は、全く他人事に思えなかった。
批評家である著者が経営に乗り出した背景、そして逆境の中でも経営をやめなかった背景には、「会社を経営し、続けることが自らの哲学の実践であり表現である」という信念があったという。この信念には、非常に共感を覚えた。
文学部で社会学を専攻しており、経営やビジネスを専門的に学んだわけではない私が自分で事業を始めようと考えた理由の一つには、「社会学をやっているだけでは社会のことは分からないのではないか」という思いがあった。
高校時代から社会学者の宮台真司氏の信者だった私は、社会学の言語空間にどっぷりつかっている一方で、言葉だけを弄んで何かを分かった気になることに物足りなさを感じていた。社会の中で使ってこそ、そして社会を動かしてこそ、社会学なのではないだろうか。真の意味で「社会学する」ためには、社会の中で実際に自ら動き、人・モノ・金を動かさないとダメなのではないだろうか。そうした原理主義的かつ青臭い思い込みがあり、信者の立場から、起業家の立場へと移行した。
2020年のコロナ禍では、弊社が運営する風俗で働く女性向けの生活・法律相談事業の実施を通して、約三千人近い女性の相談支援を行った。その過程で、「言葉だけでは人は救えない」ということを、嫌になるほど痛感した。明日の食費にも困っている人、住まいを失って行く先のない人に向かって、論理的・政治的に正しい言葉をいくら唱えても、現状は何も解決しない。
誰かを助けるため、何かを変えるためには、言葉だけでなく、組織力・資金力・事務処理能力が必須になる。人を集めることも、お金を集めることも、事務処理も、ただひたすら地道な努力と作業の繰り返しである。SNSでバズった時のような高揚感もなければ、誰かを論破した時のような達成感も得づらい。
地道な作業の繰り返しから逃げて、ただSNS上で大きな主語を多用して、自分たちが気持ちよくなれる言葉を連呼するだけで人が救われる、社会が動くのであれば、どんなに楽だっただろうか。
2010年代は、ネット上の言葉が信じられなくなっていた時代でもあった。正しい情報を知れば、それだけで人は動くわけではない。政治的に正しい言葉を連呼するだけでは、社会はおそろしいほどに何も変わらない。
著者は、自らの事業を、「知る」と「動かす」の間にある「考える」を提供する場所であると位置づけている。人は、いくら情報を与えても、自分の見たいものしか見ない。だとすれば、重要なのは、ただファクト(事実)や政治的に正しい情報を伝えることではない。「見たいもの」そのものをどう変えるのか。それこそが啓蒙である、と著者は主張する。
こうした啓蒙によって、きちんと対価を払い、適度な距離感と緊張感を持って活動をずっと見守ってくれる人=「観客」をどれだけ持っているか、どれだけ育てられるかが、これからの時代、事業や活動の成否を決めることになるはずだ。
2020年代は、作家や起業家だけでなく、全ての人が「観客を作ること」から逃げられない時代になっていくのだろう。「知の観客をつくる」ことの苦しさと楽しさを赤裸々に描いた本書は、既に始まっている「観客の時代」をサバイバルするための貴重なガイドブックになるはずだ。
『ゲンロン戦記』中央公論新社
東浩紀/著