砂は石油より先に地球からなくなってしまうかもしれない

長江貴士 元書店員

『砂と人類 いかにして砂が文明を変容させたか』草思社
ヴィンス・バイザー/著 藤崎百合/翻訳

 

 

「石油が枯渇しかかっている」とか、「地球温暖化が進んでいる」というような話は、きっと誰もが聞いたことがあるだろう。じゃあこれはどうだろう。

 

「砂が枯渇しかかっている」

 

そんなバカな、と思う人も多いだろう。僕もそう思った。いやいや、世界中にどんだけ砂漠があるんだよ、と。誰だってそう感じるだろう。

 

しかし、本書で言う「砂」というのは、「我々の文明を支える砂」のことであり、つまり、コンクリートやシリコンの原料になるような砂のことである。残念ながら、「砂漠の砂」というのは、産業用途では使えないらしいのだ。

 

砂漠がダメでも、砂浜はたくさんあるじゃないか、と思うだろう。実際、砂浜の砂は、産業用に使えるそうだ。そしてだからこそ現在、世界中の砂浜で「砂の盗掘」が行われているのだ。

 

信じられるだろうか?

 

しかも、そもそも砂浜というものが、もはや自然に任せていたら永続しないものなのである。「リゾート地」や「ビーチ」といった単語から思い浮かぶ、砂浜のキレイな場所の多く(当然、マイアミもハワイもだ)は、人工的に作られているものだ。現在、「養浜」という、外部から砂を大量に持ってきて美しい砂浜を保つという産業が大いに栄えているという。そうしなければ、砂がどんどん波に持っていかれ、砂浜が痩せてしまうのだ。もちろん、一度「養浜」して終わりではない。本書に載っている例では、5500万ドルの費用を掛けて、たった6年しか砂浜が保たないという。なかなか衝撃的ではないだろうか。

 

「砂が枯渇しかかっている」ということは、人類がそれだけ砂を大量消費しているからに他ならない。しかし、そんな自覚があるだろうか?僕も、本書を読むまでは、そんな自覚はなかった。せいぜい、コンクリートぐらいだと思っていた。

 

あなたは起きてから部屋の明かりをつけただろうが、その光の源であるガラス球は溶かした砂からつくられている。よろよろと入った洗面所では、砂を原料とする磁器製の洗面ボウルの上で歯を磨いたと思うが、そのとき流した水は近隣の浄水場で砂を通して濾過されたものだ。使った歯磨き粉には含水ケイ酸が含まれていただろう。これも砂の一種で、刺激の少ない研磨剤として、歯のプラークや着色汚れを除去するのに役に立つ。
あなたの下着が適切な位置に留まっているのは、シリコーンと呼ばれる人工的な化合物でつくられた伸縮素材のおかげだが、このシリコーンの原料もやはり砂である。(中略)
こうして着替えて身支度を整えたあなたが職場へと車を走らせたその道路は、コンクリートやアスファルトで舗装されている。職場では、コンピューターの画面も、コンピューターを動かすチップも、インターネットに接続する光ファイバーケーブルも、すべてが砂からできている。作成した文書を印刷する用紙は、プリンターのインクの吸収をよくするために、砂をベースとした薄い層でコーティングされているだろう。貼って剥がせる付箋に使われている粘着剤さえも、砂からつくられている

 

どうだろうか。こう説明されると、僕らが使っているありとあらゆるものが「砂」から作られていると思えてくるのではないだろうか。とにかく人類は、文明を成り立たせるために、「砂」を消費しまくっているのだ。本書によれば、「空気」と「水」を除いて、人類が最も使用している天然資源が「砂」であり、我々が一年に使用する砂と砂利の量は、500億トンにも及ぶという。全然想像出来ない数字だが、凄まじい量だということは分かる。

 

「砂」由来のものの中でも、人類が生み出した最も見事で、そして最も悲劇的な素材が、コンクリートだろう。

 

まず、我々がどれぐらいコンクリートを使っているのか、引用してみよう。

 

ロバート・クーランドは著作『コンクリート・プラネット』にこう書いている。「コンクリートという素材は、地球上のすべての人に対して、1人あたり40トン存在していることになる。そして毎年、1人あたりのその量に、1トンずつ加算されているのだ」

 

これもなかなか尋常な量ではない。しかも人類は、ほんの100年ちょっと前まで、コンクリートという素材を使っていなかったのだ。

 

ここまで使用量が激増している理由は、コンクリートという素材が安価で使いやすいからだ。とにかく、安さと使いやすさという点で、コンクリートの代替品は存在しないと言っていいほどだ。

 

とはいえ、最初からこの素材の性質が受け入れられていたわけではない。当初は、レンガ職人や石工たちのネガティブキャンペーンにより、なかなか広まらないでいた。そこに起こったのがサンフランシスコ大地震だった。この時、議論の的になっていた鉄筋コンクリート造の倉庫が、丸3日間消えなかった火災の中で無傷のまま残ったのだ。実際この地震では、倒壊した鉄筋コンクリート造の建物もあったし、倒壊しなかったレンガ造りの建物もあったのだが、この倉庫は鉄筋コンクリートの安全性の象徴として広く知られるようになり、そこから鉄筋コンクリート造の建物が爆発的に増えることになったのだという。

 

しかし、コンクリートという素材の悲劇的な側面は、長持ちしないということだ。コンクリートで作られたものは、50年もすれば崩れ始め、2世紀もつものは存在しないと言われている。アメリカの例だが、高速道路の1/5、都市部の道路の1/3、橋の1/4は修繕が必要だという。全世界で言えば、実に1000億トンにも及ぶコンクリートによる建造物、ビルや道路、橋、ダムなどを交換しなければならない、と見積もられているという。しかし、実際にそんなことが可能なのだろうか?

 

また、コンクリートというのは、僕は意外だと感じたが、地球温暖化の原因としても悪名高い。地球温暖化を促進する二酸化炭素の排出要因は、1位が石炭による火力発電、2位が自動車で、3位がセメントの製造だそうだ。さらに、コンクリートそのものが熱を溜め込むことでヒートアイランド現象の引き金となるし、コンクリートで作った道路の上を自動車が二酸化炭素を撒き散らしながら走るのだ。

 

文明を成り立たせる様々なものを生み出す砂が枯渇し、砂から作られるものの中でも利便性の高いコンクリートは耐久性に問題があり、さらにコンクリートが地球温暖化と関係しているとなれば、我々が取らざるを得ない選択は一つしかない。

 

結局のところ、長期的な解決策は1つしかない。人間が砂の使用量を減らすことに取り組まねばならないということだ。もっと言うと、人間は”あらゆるもの”の使用量を減らすことに取り組まねばならない

 

本書には、国連の職員の言葉として、「このままのやり方を続けられるのは5年か10年といったところかもしれない」という言葉が紹介されている。我々は、砂を当たり前にあるものとして使いすぎた。というか、「使っている」という実感もないままに使ってきた。日本でも、レジ袋を使わずにマイバックを持っていく(これによって、石油由来のプラスチックごみを削減できるとされている)というのが当たり前になったが、もしかしたら石油以上に、砂の節約をしなければならないのかもしれない。

 

『砂と人類 いかにして砂が文明を変容させたか』草思社
ヴィンス・バイザー/著 藤崎百合/翻訳

この記事を書いた人

長江貴士

-nagae-takashi-

元書店員

1983年静岡県生まれ。大学中退後、10年近く神奈川の書店でフリーターとして過ごし、2015年さわや書店入社。2016年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)の表紙をオリジナルのカバーで覆って販売した「文庫X」を企画。2017年、初の著書『書店員X「常識」に殺されない生き方』を出版。2019年、さわや書店を退社。現在、出版取次勤務。 「本がすき。」のサイトで、「非属の才能」の全文無料公開に関わらせていただきました。

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