BW_machida
2021/03/02
BW_machida
2021/03/02
1960年代の安保にはじまり、69年の東大安田講堂の攻防戦、70年代の連合赤軍事件。内ゲバによる殺し合いで学生運動は死と隣り合わせにあった。やがて学生運動は80年代、90年代と時を経て次第に縁遠くなる。そして現代、整備され美しくなったキャンパスでは大学教員が熱心に学生を教える姿が見られるようになった。一方で、今はビラを撒くだけで教員が飛んでくる時代でもある。「学生運動」はもはや死語になりつつあるのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。
学生運動は、全くなくなったわけではない。原発事故、ヘイトスピーチの横行、財務省の隠蔽、性的マイノリティへの差別、性暴力、セクハラ問題など2000年代も社会を大きく動かす出来事がたくさん起きている。そうした中、社会と向き合い、社会を良くしようと自分の意志を、言動を言葉で示す学生たちは少なくない。
本書では、その社会的に大きな影響力から強い印象を残したSEALDs、「未来のための公共」、民青(日本民主青年同盟)、過激派と呼ばれる新左翼党派、大学で独自に活動していた学生など、現代の社会運動に取り組む学生たちが取り上げられる。
2010年代以降、全国の大学で性的マイノリティを支援するサークルが増えているという。活動の内容は、主に学内で交流会や勉強会を開いたり、パレードに参加し社会に広く理解を求めるなど、性的マイノリティの人たちへの差別的な制度、習慣、言動をなくすように訴えるものだ。
ジェンダー問題に対する学生たちの声は大きくなりつつある。たとえば2018年に上智大学で結成され、性的同意ハンドブックの配布やSNSでジェンダーや性的同意についての知識を広める活動を行う学生サークル「Speak Up Sophia」。性暴力が起こらない環境づくりを目指す一橋大学の学生団体「Bridge for All」。創価大学は、「性的同意」や「性的自己決定権」などを目指す学生グループ「BeLive Soka」の活動を受けて2019年から新入生パンフレットに性的同意の考え方を掲載するようになった。
2019年、3月から毎月11日に花を持って性暴力被害者に寄り添うデモの存在も記憶に新しい。これは花を手に、声をあげない行動から「フラワーデモ」と呼ばれるようになった。こうした動向から分かるように、性的同意の啓発を行い性暴力の反対を訴える学生はおおい。とはいえ、デモ参加に対して嫌悪感をもつ学生がいることも事実だ。
著者は2011年の原発事故から、学生たちが集会やデモに参加するハードルが下がったのではと考えている。デモ(Demonstration)の目的は、意思表示だ。自分の主張を公の場で訴えること。一人ひとりが権利意識をもち、自己主張することが良いとされる欧米では日本と比べるとデモ参加へのハードルが低い。一方、自己主張の行為が避けられがちな日本では、目立つことはよくないと思われがちだ。そのため自分の考えを言えず、デモに参加するところまでたどり着かないのだと著者はいう。とはいえ、学校側もデモに参加して国に抗うような主張を訴えることに寛容ではない。そのうえで著者は、大学は権力から疎まれてこそ、その存在意義を発揮するとも語っている。
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