姫と呼んで、そして愛して。摂食障害は治すべき病なのか?『痩せ姫 生きづらさの果てに』

鈴木涼美 作家

『痩せ姫 生きづらさの果てに』KKベストセラーズ
エフ=宝泉薫/著

 

 

ホストクラブではお客の女性のことを「姫」と呼ぶ。例えば太郎というホストを指名しているお客は太郎さんの姫。太郎さん自身もシャンパンコール中にマイクを使って彼女に向かって語りかける際には「姫、どうもありがとう」「姫と出会ってから1年たつね」などと二人称として姫を使う。それはマイクで名前を呼びかけてしまっては他のお客に個人情報が伝わってしまう配慮と、お店でお姫様気分を味わってほしいというホスピタリティによる習慣だが、「姫」という響きはどこか物悲しさを感じさせるのも事実だ。札束を持って歌舞伎町に集まり、競うように高いお酒を注文して、それでも満たされない顔の、狂ったお姫様たち。

 

おとぎ話のお姫様は、小さい女の子がこぞって画用紙に描いたり、ディズニーストアでドレスを買ったりして、憧れ、愛でるものである。しかし、実際のお姫様達はディズニー映画の中であっても、継母にいじめられていたり、塔の中に閉じ込められていたり、魔女に呪いをかけられていたり、何かと不幸の影を感じさせる。そのような状況は特殊なものであっても、そもそも自分の運命を自分で決めることができないお姫様達の立場は囚われの身でもあるわけで、そこから外の世界に連れ出してくれる王子の愛を希求している、ある意味で愛に飢えた存在でもあるからだ。

 

本書は、標準体重に到底満たない体型を維持しようとする、いわゆる摂食障害と一般的に呼ばれるような女性達を偏愛する作者が、彼女達の生態や困難について描いたものである。摂食障害に関する当事者の経験談や解説書はこれまでも多く出版されてきたし、テレビで特集されることもしばしばある。ただ、本書の特徴は障害や病と呼ばれるそんな彼女達を「痩せ姫」と言い換えて、克服すべき症状というより愛でるべき存在としてその生き様を紹介していることだ。

 

各章では特定の女性に焦点をあてたインタビューや闘病記ではなく、痩せ姫を巡る諸問題や言説を網羅的に描く。彼女達を救うことは、必ずしも病から克服させることではないというのが作者のスタンスで、だからいくつかの問題の解決策も、根本的な症状の治療ではなく、抜け道や対策よりのものを紹介している。呼び名を姫と言い換えることで、彼女達の存在も病から生き方に捉え直すこと、そして彼女達に言いようもない魅力を感じる自らの感覚も肯定することに挑戦した本だ。

 

発達障害や精神疾患について世間的な理解が浸透しつつある昨今、やや行き過ぎとも取れる「病」への診断が、「障害は個性」ではなく「個性は障害」に行き着いてしまうような不穏さを感じてしまう。もちろん、病と診断することで差し伸べられる公的な支援や経済的な援助は意味のあるものだろうが、平常なもの以外を全て克服すべき症状や支援すべき障害とすることで、自らの嗜好や愛が阻害されていると感じる者だっているだろう。医学的な診断とは別に、彼女達を姫として愛でる場所があってもいい。ホストクラブのお姫様、パチンコ屋のお姫様、お酒に酔ったお姫様、そして痩せ続けるお姫様。彼女達もまた、医療従事者と同じように、この不条理な世の中で生きながらえる方法を模索しているように私には思える。

 

『痩せ姫 生きづらさの果てに』KKベストセラーズ
エフ=宝泉薫/著

この記事を書いた人

鈴木涼美

-suzuki-suzumi-

作家

1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。2013年、修士論文を元にした著書『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)を刊行。2014年に日本経済新聞社を退社。AV出演、ホスト通い、キャバクラ勤務などの経験にもとづいた恋愛、セックスに関する論考などを多数執筆している。近著に『オンナの値段』(講談社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)などがある。

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