「日本人が最も殺される国、フィリピン」【第2回】丸山ゴンザレス
丸山ゴンザレス『世界の危険思想~ヤバイ奴らの頭の中~』

人間は誰かを妬んだり、恨んだりすることで負の感情を生み出し、やがて「殺したい」と思うようになる。ほとんどの人は、その殺意を押し止める。殺すことがタブーだと知っているからだ。知っているのに、色濃く煮詰められていくことで明確な殺意に変わる。そこからいくつかの「条件」が整うことで、実行に移す連中がいる。こうなってしまうと、モラルとか正義のハードルは軽々と飛び越えている。

 

ここでいう「条件」とは、「実行者」と「動機」である。この2つがうまく噛み合えば殺人は実行される。これが、前回紹介したジャマイカの殺し屋取材でたどり着いた、殺人に至る仕組みである。

 

この仕組みについて、もう少し詳しく説明していきたい。前回は「実行者」に焦点を当てたが、今回は「動機」について紹介しておこう。人が人を殺す“動機”を占める大きな要素、それは「金」である。

 

金のために人を殺す。

 

日本にいても、よく聞く殺人事件の動機ではある。正直、金は大事だが、それを理由に殺すというのは、いささか短絡的な理由過ぎて同意できないところもあるだろう。いまひとつリアルに感じられないのではないか。

 

だが不思議なもので、これが海外になると殺害に至る経緯というのが単純化されて浮かび上がってくるのだ。そのために紹介したい国がある。海外で日本人が最も殺されているフィリピンである。

 

在比邦人は誰に殺されているのか

 

フィリピンの刑務所にいるギャングたち(筆者撮影)

 

わりと身近な国なので、危険なイメージがないかもしれないが、事故やテロ以外の殺人事件に限れば、フィリピンが最も邦人殺害件数が多いのだ。近年の統計だけでも30人以上が殺害されている(2008年:8件,2009年:3件,2010年:5件,2011年:1件,2012年5件,2013年:1件,2014年:7件,2015年3件,2016年3件。外務省海外安全ホームページより)。

 

2017年には2件の殺人事件が立て続けに起きている。
4月に新規事業の視察のため車で移動中だったMさんが、バイクに乗った二人組に銃撃されて殺害された。
5月にはAさん(24歳)とIさん(59歳)の2人が行方不明になり、その後銃撃、バラバラにされ、海に捨てられていた。犯人は通訳と日本人経営者Nだった。Nは冤罪を主張しているが、現地採用の予定で面接にきていた二人に多額の保険をかけていたことがわかり、金目当ての犯行とする見方で警察に拘束されている。

 

どちらも衝撃的な殺され方ではあるが、Mさんとまったく同じような手口で日本人が殺された事例は過去にもあった。14年、日系旅行代理店代表を経営する男性が、やはりバイクに乗った男に銃撃されて殺害されている。その後の当局の発表では男性に借金のあった日本人が殺し屋に依頼したとされている。

 

これらの事件が表しているものはなにか。Mさんの事件は背後関係がはっきりとしていないが、おそらく金やビジネスでトラブルになっているとみられている(現地警察によれば、「それ以外に殺される理由がないから」ということだ)。

 

金が人を殺しに掻き立てる

 

フィリピンに10年以上暮らしていた友人に言われたことがある。
「フィリピンでは簡単に殺される。その理由が金なんだよ。親子の情も夫婦の絆も金の前には何の役にも立たない」

 

彼は身近なところで殺人を経験していた。フィリピンで働いている時に雇ってくれていた社長を殺されたのだ。その話に興味を持ったので、当時の話を聞いたことがある。

 

殺害された社長は日本人で、歳の離れたフィリピン人の奥さんがいたそうだ。社長は日頃から「妻が財産を独占しようとしている」「殺されるかもしれない」と周囲に漏らしていたようで、案の定、自宅で射殺されたそうだ。殺害時には妻、一緒に愛人もいて、犯人は鍵をこじ開けることもなく侵入し、争った形跡もなく銃撃された。

 

子供でもわかる状況で、誰が主犯なのか一目瞭然なのに(おそらく夫人だろう)、犯人が捕まるどころか、警察はすぐに捜査を打ち切った。夫人が警察を味方につけているということだ。

 

友人にしてみれば、夫人に逆らったら次は自分の番である。友人はすぐに会社を辞めて逃げようとした。その際に「一緒に連れて行ってくれ」と言ってきたのは、社長と夫人の間にできたその家の息子。「次に殺されるのは自分だから」と言っていたが、「巻き込まれるのはごめん」ということで友人は関係を切ったという。

 

・警察を味方にすることができる。
・わずかな報酬で殺しを請け負ってくれる人がいる。
・彼らは黙って刑務所に入ることもいとわない。

 

そんな連中がそのへんにいる環境では、ちょっとしたトラブルだって殺害に至る動機になることも珍しくない。そんな環境にいれば、殺したら利益を得られるような財産=金を巡った争いが、動機として十分な理由となるのかがわかるだろう。

 

日本では一人いくらで殺せるか

 

フィリピンで見たスラム街の光景(筆者撮影)

 

いったい金に取り憑かれた人たちの頭の中はいったいどうなっているのか。
それは、無計画と計画性がいびつに同居している状態である。
どうやったら金が手に入るのか。そこにばかり考えが集中していると、殺し方については雑だったり、完全なアウトソーシング、つまり人任せにしたりできてしまう。一歩間違えば、自分を破滅に追い込むような殺人行為の善悪の判断よりも、金への執着が優先してしまうのだ。ここまでの事件をみてもらえばそれがよくわかるだろう。

 

日本国内だと、殺し屋を用いた事件というのが発生しにくい。結果、首謀者=殺人者になることが多い。メディアでも犯人の背景や人間性、殺人行為の残虐性や身勝手な動機などをセンセーショナルに報道されてしまうことも珍しくない。

 

多くの情報が溢れていて、本当の動機にあるのが単純に金だったりすることを覆い隠してしまうことすらある。無理やりこじつけているような報道を見ると、むしろ、複雑な事情があってほしいかのように見える。私からすれば、殺人の動機が金であるというのは、愛憎のもつれといわれるよりもわかりやすい。

 

以前に裏社会を取材する同業の知人たちといったいいくらなら殺人に発展するのかの線引きを考えたことがある。

 

友人の裏社会ものを書いている作家が「100万じゃ無理だよね」と言った。この意見にみんなが同意する。その場で彼は、頑張れば稼げるような額では受けたくないだろうとの理由を示した。これにも同意だった。

 

では、一回こっきりの仕事で、どうすれば自分の心が動くのか。自分が殺し屋として動くかもしれないとして、「心が動く金額はいくらなのか」を考えていく流れになる。

 

イメージを巡らせて、すこしずつ値段を釣り上げていく。

 

「億か?」と誰かが言った。現金だとしたら、あまり多すぎても隠しきれない。そもそもそんな額で殺しを依頼するのは現実離れしていてイメージできない。刑務所に入ったとして、出てきてからの再出発の資金か、家族に残してそれなりに生活できる金額。

 

そんなふうに考えて話し合っていった結論としては「1000万円」だった。それぐらいの金額なら人間は相手の生命を秤にかけるようになる。実際、日本で殺しを請け負ったという「殺し屋」に話を聞いたときにも、彼の受け取る報酬が1000万円だった。

 

なぜその金額で仕事を受けたのか。

 

質問をしてみたのだが、返ってきた答えが「人を殺すのにそれ以上出せるんだったら、別の方法でやるでしょ」とのこと。裏の世界の恐ろしさを垣間見たような気もした。ともかく、日本人で殺しを思い浮かべる人の頭の中には、もしかしたらこの金額が入っているのかもしれない。

 

フィリピンでは邦人が殺されるケースがあるということでまとめてきたが、観光客が殺されるような凶悪事件はそれほど多くないということを断っておきたい。フィリピンは大半の旅人にとって楽園であり、決して地獄のような場所ではないということを遅ればせながら強調しておきたい。いまさらかもしれないが。

世界危険思想

丸山ゴンザレス(まるやま・ごんざれす)

1977年、宮城県生まれ。考古学者崩れのジャーナリスト・編集者。無職、日雇労働、出版社勤務を経て、独立。著書に『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)、『世界の混沌を歩くダークツーリスト』(講談社)などがある。人気番組「クレイジージャーニー」(TBS系)に危険地帯ジャーナリストとして出演中。
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