Canon’s note 6. 『ソウルフル・ワールド』
映画がすき。〜My films, my blood 〜

BW_machida

2022/07/08

「日常にハグを」

 

芸能活動に支障をきたさぬようにと真面目に過ごした大学時代。大学4年の秋、この頃には単位も取り終わり、かといって打ち込む仕事もオーディションもなかった私の日課は、当時住んでいた三鷹駅から玉川上水沿いの「風の散歩道」を歩いて井之頭公園に行き、そこのベンチに腰掛け読書をすることだった。のどかな自然に囲まれ、ゆったり読書…とはいかず、実際はいつもうわの空で、本の内容なんてほとんど頭に入っていなかった。当時の私は絶えず焦っていた。暗闇で、回し車をせわしなく回すハムスターを心に飼っているかのようだった。

 

「ソウルフル・ワールド」を観た時、そんな当時の記憶が蘇ってきた。

 

© 2022 Disney/Pixar

「ソウルフル・ワールド」(監督:ピート・ドクター、主演:ジェイミー・フォックス、日本公開2020年)

 

「ソウルフル・ワールド」はピクサーの長編映画。コロナ禍の影響により劇場公開からDiseny+での配信に切り替えられた。当時劇場公開を楽しみにしていた私は急いでDisney+に加入した。

 

ニューヨークでジャズ・ピアニストになることを夢見る音楽教師のジョー。非常勤教員だった彼はある日、正規の教員として働けることになるが、まったく気乗りがしない。そんな時、彼はニューヨークで一番有名なジャズクラブで演奏するチャンスを得る。有頂天で街中を闊歩するジョー。49歳にしてやっと夢を叶えられるかもしれない!幸せの絶頂の中、しかし彼は誤ってマンホールに落ちる。目を覚ましたジョーが乗っていたのは天国へと続くエスカレーターだった。今ここで死ぬわけにはいかないと駆け出すジョー。そんな彼が辿り着いたのは、人間が生まれる前に「どんな自分になるか」を決める、ソウルたちの世界だった。どうにか今夜の演奏までに現世に戻らねばとその糸口を探るジョーは、ソウルが各々の「人生の煌めき」を見つけ、通行証を手に入れれば地球に行ける(生まれる)ことを知る。そこでジョーは、何百年もの間生まれることを拒んでいたソウル22番と出会い、22番を相棒にして地球に帰ろうと奔走する。そんなジョーを、「死んだはずの魂の数が合わない」と気付いた魂計算係のテリーが追う。ジョーは22番を連れ、ある方法によって、病室に横たわる自分の身体に飛び込む。が、ジョーの身体に入ったのは22番で、ジョーは病室にいた猫の体に乗り移ってしまう。何とかして自分の身体に戻ろうとする猫のジョーと、ジョーの身体を通して様々な初体験をする22番。二人の運命は一体どうなるのか…

 

物語の途中、ジョーは破れたコンサートスーツを直すために母親の仕立て屋を訪れる。しかし母は押し黙っている。せっかく正規教員となれるのに、息子はまだジャズピアニストになりたいなどとうつつをぬかしている。ジョーは必死に母親を説得する。「このまま夢を叶えられないのなら死んでいるのも同然だ」。そんな息子を前に、物悲しそうな顔をした母は優しく「分かったわ」と言う。

 

大学3年の秋。大学の友人たちの話題が、どこの企業説明会にいったとか、面接がどうだったとか、就活一色になった。私は就活を一切しなかった。しかし私は母に就活をしていると嘘をついていた。私は大学を卒業したら芸能一本でいくことを腹に決めていたが、母には告げずに(告げれば全力で阻止されるだろうし)、進路の話題になるとはぐらかしていた。母は電話のたびに「芸能では食っていけないからね。まともな職につきや」と釘を刺してくる。「そんなん分かってるわ。就職きまったら芸能はやめる。いま芸能やってるって言ったら、面接で印象に残るし、ポイント高いやろ…」。

 

大学4年の夏、まだ一つも内定の話をしてこない娘。「あんた就活どうなったん…?」という母に、私は真実を告白した。
母は激怒した。声が震えていた。泣いていたと思う。そして、呆れ返っていた。それから電話の度に「まだ遅くない、考え直し。売れてる人らなんてな、氷山の一角の一角なんやで。あんたには無理や」と言われるのに辟易して、私はしばらく母と連絡を取らなかった。

 

秋になると、ようやく母も観念したのか、就職の話を一切しなくなった。私も「今日は広告のオーディションだったよ」とか「小さいけど、ドラマの仕事をしてきたよ」とか、芸能活動について母に話せるようになった。

 

しかし思い描いていたように順風満帆にいくはずもなく、オーディションには落ち続けるし、仕事もない。単位を取り終わっているので大学に行く必要もない。私は急に焦り始めた。このまま卒業して大学生という肩書きを失えば、正真正銘のプー太郎になってしまう。いや、私は大丈夫、そのうち何とかなる…!根拠の無い自信だけはあった当時の私は、そうやって自分を鼓舞し続けた。しかし本当にまったくオーディションに受からない。次第にオーディションの話すらこなくなってきた。

 

私の日常。毎朝10時ごろに起きてすぐにテレビをつける。朝食を食べながら終わり間際の「スッキリ」を観て、そのままだらだらと「ヒルナンデス」、「ミヤネ屋」を眺め、「news every.」が始まる頃にようやくソワソワし始める。このまま一日中ダラダラしているわけには行かない…。そうやって井の頭公園へと歩き始める。歩いている間も、ベンチに座って本を読んでいる間も、考えているのは仕事のことばかり。たまにスマホを開くと、活躍している同年代の役者たちの記事を目にし、落ちこむ。吹き抜ける風は冷たく、紅葉の間に見える空は灰色だ。

 

あんなに見栄を切ったのに、仕事、全然ないやん。

 

不安でたまらず、母に電話をかける。

 

「なぁ、マミー、なんか、私ぜんぜんあかん。ほんま何やってんのやろ…」

 

「まぁた暗い声してぇ。あんたなら大丈夫、オカン信じてるでぇ」

 

私の不安を根こそぎ剥ぎ取るかのような明るさでしゃべる母。あんなに芸能活動に反対していたのに、今の自分よりも母の方が、私のことを信じている。

 

「あんたが頑張ってる姿みてるとな、オカンも仕事頑張ろって思えるんやで。あんたが元気ならええねん」

 

今だに母には心配をかけているけれども、母と話すといつも、ただただ私の人生を黙って応援してくれているのが伝わってくる。あんたがやりたいことやって、幸せやったらそれでいい。息子のスーツを仕立てる母親の姿に、マミーを想った。

 

夜の演奏のことで頭がいっぱいのジョー。対する22番は、足早に歩く人でごった返すニューヨークの街並み、初めて口にするピザやキャンディ、排水溝から噴き上がってくる風、はしゃいでおじさんに怒鳴られる地下鉄、ふと手の中にひらりと舞い込む落ち葉…生まれて(厳密にはまだ生まれていないけれど)初めての体験に、目を輝かせ、ただただ純粋に反応している。そんな22番の感動には無関心のジョー。しかし、物語終盤、「夢」を叶えたジョーはある大切なことに気付く。そのシーンを観た瞬間、目頭がカッと熱くなった。それからエンドロールが終わってしばらくするまで、涙が止まらなかった。

 

灰色に見えていた井の頭公園の空。不穏に聴こえていたカラスの鳴き声。人に踏まれてボロボロの惨めな落ち葉。すべて私自身が作りあげた景色だった。目の前にある世界を自分自身で「死んでいるのも同然」の世界に作りかえてしまっていたのだ。夢を追うあまり、大切なことを忘れ去っていた。いや、当時の自分にはそれが大切なことだと気付けていなかった。

 

今なら分かる。たまに忘れそうになるけども、それがなによりも大切だったことが、分かる。当時の私は、美味しいものを食べても、美味しいと感じることすら出来ていなかった。自分なんて生きてる価値がないと、毎日のように自分に呪いをかけていた。ただただ私の幸せを願ってくれる人たちがいたのに。
過去の自分の隣に座って、そっと肩を叩いてあげたい。ねぇ、目の前にある木漏れ日を感じて。木々の匂いを感じて。ゆったりと流れる時間を味わって。

 

やりたいことを見つけて、それに邁進できるのも幸せなことだけれども、それに縛られて身動きがとれなくなっていては本末転倒だ。
ハムスターさん、ちょっと走るのをやめて一呼吸してみよう。そしたら案外そこは暗闇ではなく、回し車もなく、広い大地がひろがっていることに気付けるから。

 

目の前のほんの小さな幸せにハグを。

 

撮影の合間に吹いてきた突風。呼吸もできず髪もぐちゃぐちゃだけども、風に遊ばれて、愉快。

 

『ソウルフル・ワールド』
ディズニープラスで配信中
©2022 Disney/Pixar

縄田カノン『映画がすき。』

縄田カノン

Canon Nawata 1988年大阪府枚方市生まれ。17歳の頃にモデルを始め、立教大学経営学部国際経営学科卒業後、役者へと転身。2012年に初舞台『銀河鉄道の夜』にてカムパネルラを演じる。その後、映画監督、プロデューサーである荒戸源次郎と出会い、2014年、新国立劇場にて荒戸源次郎演出『安部公房の冒険』でヒロインを務める。2017年、荒井晴彦の目に留まり、荒井晴彦原案、荒井美早脚本、斎藤久志監督『空の瞳とカタツムリ』の主演に抜擢される。2019年、『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』にてニコラス・ケイジと共演、ハリウッドデビューを果たす。2021年には香港にてマイク・フィギス監督『マザー・タン』に出演するなど、ボーダレスに活動している。高倉英二に師事し、古武道の稽古にも日々励んでいる。趣味は映画鑑賞、お酒、読書。特に好きな小説家は夏目漱石、三島由紀夫、吉村萬壱。内澤旬子著『世界屠畜紀行』を自身のバイブルとしている。
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