喬太郎の心の叫び【第41回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

アスペクトから『この落語家を聴け!』の初版が発売された2008年6月27日というのは、奇しくも帯に推薦文を書いてくれた立川談春が師匠談志との親子会を歌舞伎座で行なう前日に当たる。4月に出版された談春の『赤めだか』は既にベストセラーとなり、談春の知名度は以前とはケタ違いにアップしていた。この「談春のブレイク」は、帯の推薦文を依頼した時点では予想していなかったし、発売日と親子会が1日違いというのもまったくの偶然だが、『この落語家を聴け!』にとって途轍もなく大きな追い風となった。

 

『この落語家を聴け!』のヒットは、「落語ブーム」をもう一度加速させた。「今こういう面白い落語家がいる」というガイドの存在は「チケットを買って落語会に足を運ぶ」という行為に直結する。2005年頃からの「落語ブーム」に煽られて何となく寄席に行ってみたら「期待したほど面白くなかった」という経験をした人は少なくない。そこに「たまたま聴いた落語が面白くなかったら、その演者が面白くないだけの話。面白い落語家を聴けばいい」と断言して具体的に指針を与える本が出てきたことで、「そうだったのか、じゃあここに書かれている人の会に行ってみよう」と思った人もいたはずだし、『この落語家を聴け!』がマスコミに取り上げられたことがきっかけで落語会に通い始めた人もいるだろう。僕自身が言うと自慢めいて聞こえるが、客観的に見て2008年以降の数年間、『この落語家を聴け!』が落語界の活性化に大きく寄与したのは間違いない。

 

『この落語家を聴け!』は落語公演を企画する立場の人々にとっても使い勝手のいいガイドだったようで、多くの関係者から直接「参考にした」「役に立った」と言ってもらえた。業界の一部から、『この落語家を聴け!』が煽ったのは「落語ブーム」ではなくて「落語家ブーム」だ、という声も聞こえてきたが、僕は「落語家ブーム」でも構わない、とにかくナマでいい落語を聴いてほしいと思っていた。

 

ただ、これは『この落語家を聴け!』と直接関係があるわけではないが、2008年頃には人気落語家の力に頼った「企画公演」的な落語会が増えてきて、落語ファンとしては面白いけれども、出演する落語家にとっては負担が大きいのかもしれない、と思うことはあった。

 

「落語家ブーム」的な状況の中でもとりわけ人気抜群、あちこち引っ張りだこで大忙しの柳家喬太郎が、高座の上で企画公演への「モヤモヤしてる」心情を吐露し、それを聞いた師匠の柳家さん喬が対談コーナーで慰める、という一幕があったのは2008年10月26日、中野での親子会でのことだ。

 

喬太郎が「モヤモヤ」の原因として挙げたのは翌日から新宿・明治安田生命ホールで始まる「SWAクリエイティブツアー」、およびその直後に控える「源氏物語公演」だった。

 

「源氏物語公演」とは、2008年10月30日から5日間連続で銀座・博品館劇場で開催された企画公演で、この時期この劇場で落語以外にもいろんな公演が行なわれた「源氏物語一千年紀祭特別公演」の一環としての開催。5人の落語家が落語版『源氏物語』を演るというもので、10月30日の昼夜2回公演で立川談春が『柏木』、31日の夜公演で柳家喬太郎が『空蝉』、11月1日の夜公演で橘家文左衛門が『明石』、11月2日は昼公演で入船亭扇辰が『葵』、11月3日は昼夜2回公演で三遊亭歌之介が『末摘花』を担当した。談春・文左衛門・扇辰には落語作家の本田久作氏がそれぞれのために台本を書き下ろしたが、喬太郎と歌之介は自分で創作している。

 

この公演の開催は『この落語家を聴け!』の出版よりだいぶ前に決まっていて、確かこの年の初頭には予告チラシを受け取っている。(『赤めだか』でブレイクする前の談春だったからブッキングできたのだろう、とも思える)

 

僕は好きな落語家ばかりが出る公演ということで、「何で今『源氏』なのか」はまったく考えることなく談春・喬太郎・文左衛門・扇辰・歌之介すべてのチケットを買った。もっとも11月3日は風邪を引いて寝込んでしまい、チケットを持っていた歌之介の昼公演には行けず、僕が観たのは4公演のみ。(ちなみに3日の夜には回復し、4月に真打昇進した笑志改め立川生志の新橋・内幸町ホールでの独演会「立川生志らくごLIVE“ひとりブタ”」に行くことができた)

 

10月26日に中野・なかのZERO小ホールで開かれた「さん喬・喬太郎親子会」。開口一番の喬之進に続いて高座に上がった喬太郎は、『すみれ荘201号』へと入った。この噺、登場人物の裕美子がお見合い相手の男に「作詞作曲をするんですか? 聴いてみたい」と言うと『東京ホテトル音頭』『大江戸ホテトル小唄』『東京イメクラ音頭』といった曲を歌いまくるのが定番。この日も「いや、今日は親子会なんで」と一旦は遠慮するが、「やっぱりモヤモヤしてるんで歌います!」とホテトル音頭、イメクラ音頭を熱唱した。

 

ここで裕美子が「何でモヤモヤしてるの?」と尋ねたことで喬太郎の心の叫びが始まった。「さしあたってSWA! それと源氏! もうああいう派手な仕事はやめて、来年は寄席と学校寄席で食っていこうかと思ってるんだよ! 自分でも、また『小言幸兵衛』かとか『竹の水仙』かとか思うもん! 『双蝶々』とか夏に演るか、とか! 大きい会は疲れるんだもん! 稽古する暇が無いからネタが増えないんだよ!」

 

ちなみにこの年の7月18日に世田谷パブリックシアターで喬太郎の『双蝶々』初演を売りにした独演会が行なわれており、「夏に演るか」はそれを指している。

 

この『すみれ荘201号』の後が、さん喬・喬太郎の対談コーナー。ここでさん喬は感動の「公開小言」を行なうのだった。(この項続く)

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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