「談春のセイシュン」ーー『赤めだか』の大ヒット」【第32回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

「談春七夜」の成功で、立川談春は一躍シーンのトップに躍り出た。

 

2007年になると明らかに談春の客層が広がった。「噂の談春を観てみよう」という落語ファン、さらには「落語ブームだから」と落語に興味を持った「落語初心者」も客層に加わったのだ。

 

客層が広がった結果、2つのことが起こった。1つは大会場での独演会が増えたこと、もう1つは(会場が大きくなったにもかかわらず)チケット入手が一層困難になったことだ。

 

会場の規模に関しては、2006年にも既にシアターアプル(客席数700)やイイノホール(当時は改装前で客席数694)で独演会をやるようになっていたが、2007年2月には客席数900の銀座ブロッサム中央会館で初の独演会を行なっている。(そこで披露した『たちきり』の新演出は衝撃的だった)

 

後者は個人的な実体験が伴っている。2007年、僕は「黒談春」(紀伊國屋ホール/客席数418)、「白談春」(紀伊國屋サザンシアター/客席数468)、「談春七夜アンコール」(横浜にぎわい座/客席数391)といったシリーズ企画独演会のチケットを確実に取るために「発売日に始発で出かけて窓口に並ぶ」ようになったのだ。それまでにも「志の輔らくご」やSWAのためにチケットぴあに朝から並んだりローソン店頭のLoppiの前で陣取ったりというのはあったが、この年の「談春のチケット争奪戦」はちょっと異常だった。(早朝から並ぶ常連の皆さんと親しくなったのは楽しかったが)

 

ちなみに「黒談春」というのはネタおろしを中心とする、談春曰く「田植えをする」会。熱心なファンだけが来てくれればいい、という趣旨で、十八番をやる「白談春」と差別化した企画だったが、第1回、第2回は初談春の観客が結構な割合を占めていたようだ。(結局2008年3月の第5回で「黒談春」は幕を閉じることになる)

 

もっとも、東京を中心とする落語ファンの間での談春人気は過熱していたが、一般的な知名度はまだまだ低かった。その談春を「全国区の人気者」に押し上げたのが、書籍『赤めだか』(扶桑社)の大ヒットだ。

 

文芸季刊誌『en-taxi』に2005年春号から連載開始された自伝的エッセイ「談春のセイシュン」は抜群に面白く、僕も当時、それまで存在すら知らなかった『en-taxi』という雑誌を、そのためだけに発売日に買うようになったものだ。

 

そもそも、上手い書き手による「青春記」は問答無用で面白い。そして談春は言葉を操る天才だ。談春が書き手として非凡であることは2004年の「二十年目の収穫祭」のパンフレットに掲載された文章で証明されていた。その談春が、彼だけが知る「談志とのエピソード」を青春記として綴っているのだから面白いに決まっている。なにしろ「立川談志」という存在そのものが強烈なエピソードの塊なのだから。

 

談春を口説き落として連載開始に持ち込んだのは文芸評論家の福田和也氏。福田氏は立川流一門による2003年の書籍『談志が死んだ』(講談社)で談志が談春の『庖丁』を絶賛しているのを読んだのがきっかけで独演会通いを始め、「とてつもない才能を秘めた噺家を見つけた」と興奮したのだという。(文庫版『赤めだか』解説より)

 

連載開始時に談春が「二ツ目になるところまで」と宣言したとおり2007年秋号(9月発売)で本編連載は終了、次の2007年冬号(12月発売)に番外編として「誰も知らない小さんと談志 小さん、米朝——2人の人間国宝」が掲載され、そこまでを書籍化した『赤めだか』は2008年4月11日に発売された。

 

福田氏と扶桑社はこの『赤めだか』出版に合わせて、大きなイベントを仕掛けた。6月28日の「談志・談春親子会 in 歌舞伎座」である。歌舞伎座で出版記念の親子会が開催されることは書籍の帯(裏表紙側)にも大きく謳われているから、プロデューサー役の福田氏はかなり早くから用意周到にこの一大イベントを仕込んでいたのだろう。

 

5月6日には談志と談春、福田氏が同席しての記者会見が行なわれ、その席上で談志は「古典落語は今、こいつ(談春)が一番上手い。俺よりも上手いんじゃないですか。よく俺の領域を荒らすところまで来た」と絶賛。談春は「師匠に『慶安太平記』と『三軒長屋』のリレーをお願いした」と明かした。

 

この出版記念親子会のチケットは松竹歌舞伎会先行で5月8日発売、チケットweb松竹及びチケットホン松竹が5月9日、窓口販売が5月11日で、1900席が即完売。僕は2006年5月の新橋演舞場「談志・志の輔親子会」のチケット入手に大苦戦したのを教訓とし、歌舞伎会先行ルートで確保した。

 

残念ながら談志の体調悪化によりリレー落語は実現せず、談志は口上と『やかん』のみで、談春が『慶安太平記(善達の旅立ち)』と『芝浜』の2席を演じるという内容に変更されたが、「談志と談春が歌舞伎座で出版記念の親子会を開催」という話題性は大きく、『赤めだか』は多くの媒体で取り上げられ、発売されて間もなく10万部を突破するベストセラーとなり、談春は第24回講談社エッセイ賞を受賞した。(その後累計13万部を超えている)

 

書籍は、内容が良ければ必ず売れるというものでもないし、いくら媒体に大きく取り上げられても内容が伴わなければベストセラーにはならない。『赤めだか』は最高の形で世に送り出され、その内容の素晴らしさによって長く売れ続けた。2015年12月28日には嵐の二宮和也が談春役を務めるスペシャルTVドラマ『赤めだか』(TBS系)も放映されて再び話題となり、それに伴い2015年11月に発売された文庫版『赤めだか』は2016年上半期の推定売上が約10万部に達した。

 

『赤めだか』の大ヒットで談春は「全国区の人気者」となり、2008年12月には初めて大阪フェスティバルホール(客席数2700)で独演会を開催。以降談春の勢いが衰えることはなく、TVドラマや映画への出演などでさらに知名度はアップ、全国ツアーにも力を入れて「全国区の人気」を維持し続けている。

 

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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