akane
2019/03/28
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2019/03/28
2008年後半に落語を演らなくなった談志が「復活」したのは12月14日、群馬県館林市でのことだった。
「神様がしゃべらせてくれた『芝浜』」を2007年に披露した、毎年12月恒例のよみうりホールでの「リビング名人会 立川談志」は、2008年には開催されていない。
ちなみに2008年12月17日には立川談春が初めてよみうりホールで独演会を開いた。それに先立ち、談春が10月10日に横浜にぎわい座で「12月によみうりホールで独演会をやるのは、たまたま日程がそうなっただけで、談志を引き継いだわけではありません!」と言うのを聞いたが、もちろんそれが偶然なのは主催者が異なることからも明らかだ。
「よみうりホールの独演会もないし、もう家元は年内は高座に出ないのだろうか」と思いつつ、僕が気になっていたのは12月14日の館林市三の丸芸術ホールでの「しまや寄席 熱演立川流」に談志が出演予定とされていたこと。出演は他に立川談四楼、立川談慶ら。「家元が出たとしても、6月のこの会場での高座同様、ジョークだけかもしれない」と思いつつ、前売りチケットを買い、当日、館林に向かった。
会場には出演者変更などの告知は特に貼り出されていない。
志の吉(現・晴の輔)が開口一番で『看板のピン』、談四楼が『浜野矩随』で仲入り。談慶が『片棒』を演じて、いよいよトリの談志である。
高座に登場した談志は、まず「ガンが治って初めての高座で少し心配です」と一言。その声は夏頃までの苦しそうなものとは異なり、掠れてはいるものの、2月に銀座ブロッサムで『天災』を演ったときくらいにまでは復調していた。
何より「ガンが治った」と談志は言った。今回の治療について本人の口から直接語られるのを聞いたのは、これが初めてだ。
「今は自然に鼻唄も出るようになった」と治療の成果を語った談志は、ジョークを幾つか披露した後、おもむろに「このへっつい、いい品だね」「いい品物ですよ」と会話に入る。なんと『へっつい幽霊』! 三代目桂三木助の『へっつい幽霊』を愛した談志は、60代の終わり頃からさかんにこの噺を高座に掛け、サゲも変えてみせていた。この噺が今、ここで聴けるとは!
「安いね、まからない?」「なんです、安いけどまけろって」という冒頭の会話を突然中断したかと思うと、「志ん生師匠のギャグでね……」と脱線したので、一瞬「やっぱり『へっつい幽霊』を全部演るわけじゃないのかな」と思ったが、それは談志が落語という芸術に対峙する自分の姿勢を語るための脱線で、「極端に言うと、“へっつい”っていう言葉が通じなくてもいいと思ってこの噺を演ってたの」と言うと、噺の本筋へ戻っていった。
「あのへっつい引き取って!」「何かあったんですか?」「何もないけど引き取って!」というやり取りの最中で咳き込んだ談志は、「手術した跡が引きつって、虫が這ってるような感覚になるんだけど、掻けないでしょ? だから咳をする。もうドキュメントを見せるしかない。でも、いつもドキュメントってわけにはいかないでしょ? 可哀そうなのは客だよね、落語に咳が入ってくるんだから」と言ったが、聞き苦しさはない。
「落語の最中に咳が出るというこの状況、文楽師匠や圓生師匠じゃもたないよ。圓楽でももたないだろうな。私だからもつんでね……これがもたなくなったら終わると、これ、まんざらウソでもない」
そして噺に戻っていく。結局、咳が出たのはこの一回だけだった。
へっついから金が出てきた場面で舞台袖に向かって「水持ってきてくれ」と言った談志は「そういえば高座に湯呑みが出てないね。ワザとだろうか……こんなウルサイ落語家いないね」と笑い、持ってこられたペットボトルを見て「古典落語に合わないね」と、また笑う。
水を飲んで『へっつい幽霊』続行。向こう傷の熊が博奕で負けて「ダーッ! チキショーッ!」と大声で叫ぶと、すかさず「そういう声出して大丈夫ですか?」と自分でツッコミを入れる談志。このあたりから尻上がりに調子を上げていく。幽霊が熊とサイコロ勝負に出る頃には、もはや完全に声のことは気にならなくなっていた。
「幽霊だから足は出さない……これは従来のサゲ。談志は一味違う」と言って、幽霊が消えていく場面へ。そして若旦那が戻ってきて「見てましたよ、半分くださいな」と談志オリジナルのサゲ。会場の空気を完全に支配する、見事な『へっつい幽霊』だった。
大きな拍手を制し、「これをこしらえて得意になって演ってたけど、作っちゃうと、もうダメなんだよ」と続けた談志は「俺は百年に一度の落語家なんかじゃなくて突然変異なの。落語という芸術があるからドロップアウトしなかった」と言うと、ユーモアと「人間の業」について語り始めた。
文明と文化、そして芸術……「芸術とは非常識であり、エゴ。俺のいろんな行動、平気で出番を抜いたりっていうのは、自分でもどうにもできないエゴで、そのエゴに観客が共感できるものがあるから立川談志は受け入れられた。共感できなくなったら立川談志の終焉である、ということです」
約55分間の高座を務めた談志は、終演後、客が出口へ向かう通路の途中にある階段を、手すりにつかまってゆっくり昇っていた。高座から楽屋へ向かうには、そこを通る必要があったらしい。携帯で写真を撮りまくる客に、丁寧に応対する談志。「手すりにつかまらないと昇れないの」と言いながら、客の声援と拍手に笑顔で応えて一歩、また一歩と階段を昇っていった。
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