高座から遠ざかる談志【第53回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

 「立川談志が居なくなっちゃった」と語った2008年5月13日の「ひとり会」から同年6月28日の「立川談志・談春 親子会 in 歌舞伎座」までの間に、僕は談志の高座を4回観た。

 

 まずは5月23日、新橋・内幸町ホール「五夜連続:立川生志真打昇進披露興行『…の・ようなもの』 第五夜」。談志は仲入り前に登場して『金玉医者』を淡々と演りきった。仲入り後の口上にも並び、三本締めの音頭も取っている。

 

 6月7日は三鷹市公会堂で「談志・志らく 親子会」。この直前、談志は入院して治療に専念しているという情報があり、TOKYO MXの「談志・陳平の言いたい放題」(2004年4月から毎週土曜に放送していたトーク番組)でも「病名はわかっている、喉は治る」と発言している。この日は志らくが二席(『鉄拐』『品川心中』)で、談志は仲入り前に『やかん』を演じた。

 

 6月18日、調布市グリーンホールで「立川談志独演会」があったが、当日会場入り口に「プログラム変更のお知らせ」が貼ってあり、談志の他に談春・談笑・志遊が出演する「談志一門会」になっていた。

 

 オープニングで普段着姿の談志がハンドマイク片手に登場、立ったまま20分ほどトーク。志遊『寄合酒』、談春『宮戸川』、仲入りを挟み談笑『粗忽長屋』と来て、談志のトリネタは民話系の『田野久』。地噺的な要素を強調して軽いトーンで語る演目なので、声が掠れていてもあまり支障はなかった。

 

 声を思うように出せない状態では、登場人物の台詞に感情注入を要するダイナミックな落語を演ることはできないが、『金玉医者』『やかん』『田野久』といった、声のトーンではなく内容で勝負する噺ならできる。そう考えてのネタ選びだったのだろう。

 

 当時、声が思うように出ない談志の「感情注入を排した演目」について、僕や周囲の談志ファンはいつしかこれを「談志噺」として積極的に楽しむようになっていた。

 

 6月22日には群馬県館林市三の丸芸術ホールで「談志・談四楼・志の輔 親子会」があり、日曜ということもあって足を運んだ。

 

 談修『転失気』、志の輔『親の顔』の後、談四楼ではなく談志が高座に登場。『田能久』に入りかけたが、声の調子がかなり悪そうで、「今日は無理だな」と言い、舞台袖に向かって「おい、誰か居るか?」と声を掛け、客席に向かって「こんな風だと、観てる方も悲惨でしょ? え、そうじゃない? あそう」と微笑むと、再び袖に向かって「ジョークだけにする」と話してから、立て続けにジョークの数々を繰り出す。途中で袖に「もうどれくらい演ってる?」と訊くと「30分くらいです」との答え。「ふーん、じゃあ、もうそろそろ」 結果、37分間の高座だった。お辞儀をした後なかなか立ち上がれないうちに幕が下りる。仲入り後、地元群馬出身の談四楼が『らくだ』をみっちりと演じた。

 

 その後が、歌舞伎座である。

 

 冒頭、2人揃っての「御挨拶」。館林の「落語に入れなかった談志」を目撃した僕としては、まずは「談志が出てきた」ことにホッとした。

 

 談春との掛け合いで話す談志の声は掠れてはいたが、口調はいつもどおり。10分ほどで2人が高座を下りると、改めて談春が高座に登場、『慶安太平記:善達の旅立ち』を演じた。

 

 続いて談志が高座に上がる。5月6日の記者会見で談春は『慶安太平記』と『三軒長屋』のリレーをやると言ったが、今の体調でそれが無理なのは明らかだ。結局、談志は幾つかのジョークの後、『やかん』を演じた。「蒲焼の由来」でサゲた後、仲入りに入りかけたのを制し、観客に向かって「この声なので……マイクに頼る芸はダメですね」と詫びると、再びジョークを披露してから深々と頭を下げて、幕。仲入り後は談春が『芝浜』を披露した後、1人で挨拶をし、談志の登場はなかった。

 

 リレーはなかったが、良い親子会だったと思う。体調が悪くとも弟子のため、そしてファンのために、精一杯高座を務める談志が観られて嬉しかった。談志はやっぱり、サービス精神の人なのだ。

 

 次に談志の高座を観たのは8月3日、半蔵門・TOKYO FM HALLでの「納涼談志寄席」。「談志・陳平の言いたい放題」のための公開収録である。

 

 生志、談笑、談修らも出演したこの落語会で、談志は仲入り前に『やかん』、トリで『二人旅』の二席を演じた。声は酷く掠れてはいるものの元気そうで、どこか吹っ切れたような、楽しい高座だった。何はさておき「落語を二席演った」のが凄い。そういう談志を観るのは久々だった。

 

 だがそれ以降、しばらく談志は高座から遠ざかることになる。

 

 後に判明するのだが、声の不調は咽頭ガンの再発によるもので、その本格的な治療(放射線治療)に入ることになったらしい。「言いたい放題」も談志が治療に専念するため8月いっぱいで終了している。

 

 9月、10月、11月と、談志は落語を演っていない。弟子の会で「特別ゲスト」としてジョークを披露したことは何度かあったと聞くが、談志がこれほど長い期間、表舞台から姿を消すのは尋常ではなかった。

 

 毎年「談志が『芝浜』を演る会」としてファンが楽しみにしていた、12月のよみうりホールでの独演会も開かれそうにない。

 

 プライベートでの談志を知らないファンとすれば、ひたすら心配な日々だった。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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