「お客さんを笑わせるんじゃない、お客さんはつい笑ってしまうものなんだ。」【第63回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

小三治を追いかけてきた中で、強烈な印象を残した独演会が幾つかある。その1つが2006年10月31日・上野鈴本演芸場の独演会だ。

 

寄席の定席では10日間ごとの番組とは別に、31日には「余一会」として特別興行が組まれる。上野鈴本では1986年5月から、余一会での「柳家小三治独演会」が行なわれるようになった。当初は年5回のペースだったが、後に5月と10月の「年2回開催」となっていく。

 

この独演会では、配布されるプログラムに小三治の演目がネタ出しされるのが恒例で、2006年10月は1席目が『長短』、トリネタが『道具屋』となっていた。

 

柳亭こみち『やかん』、柳家禽太夫『片棒』に続き小三治が『長短』を演じて仲入り。柳家はん治『ぼやき酒屋』の後は「お尋ね下さい お答えします」のコーナー。開演前に配られたアンケート用紙に観客が小三治への質問を記入し、仲入りで回収されて小三治が答えるという仕組みだったが、そのアンケートに「独演会で『長短』と『道具屋』はないでしょう」と書いた人がいた。それを取り上げた小三治は「あるんです」と、語り始めた。

 

「四代目の小さんという人は、トリで『道具屋』を演って、客を半分くらい帰しちゃったそうです。で、その残った半分の客は、それはそれはいい思いをした……そう師匠に聞いたことがあります。私もいつか、『道具屋』でトリを取れる噺家になりたいと思った。『道具屋』の小三治と呼ばれるようになりたい、と」

 

「前座噺は難しい。大ネタは、ある意味やさしい。噺そのものが面白いから。前座噺は、そうはいかない。今日ここで『道具屋』を演るために随分稽古しました。稽古すればするほど、『道具屋』という噺は難しい。これを難しいと思うというのは、つまり、それだけものが見えてきたっていうことです」

 

そして『道灌』の冒頭、ご隠居と八五郎の会話の話になる。

 

「この2人の関係はどうなのか、距離は、家の広さは……そういったことを、ちゃんとイメージして話さないといけない。お客さんはいちいちそんなことを考える必要はないけれど、噺家がちゃんとイメージしていれば伝わる。それがなければ面白くも何ともない」

 

「何気なく会話している2人の関係がおのずと浮かび上がってくる、そういう生活感みたいなものが落語の魅力だと、私は思っています。落語は、笑い話じゃない。笑わせればいいってもんじゃない」

 

「小さん一門では最初に『道灌』を覚えさせられます。私も、かなり得意になって演っていました。ある時、ここ(鈴本)の席亭に、今日の『道灌』凄かったねぇと誉めて頂いて……『道灌』が凄かった、なんてことは普通言えることじゃありません。そうしたら、その同じ『道灌』を私の師匠が観て、おめぇの『道灌』はダメだな、と言ったんです」

 

「私は『師匠の言われるように、ご隠居の年齢や家の広さ、八っつぁんの年恰好、すべて考えてやってますよ、何でダメなんですか?』と訊きました。そうしたら師匠は『おめぇは、この2人が仲がいいってことを忘れてる』と。それ以来、落語をやる上での考え方がガラッと変わりました」

 

「今の若い噺家を見て私が思うのは、『客に向かって話すな』ということ。客に向かって話すのはマクラだけで充分。あくまでも、中に出てくる人同士が会話をしなくてはいけない。でも今、みんな客に向かって話してる。ウケようとしている」

 

そうすると、こういう話し方になる……とやってみせる小三治。そのとき僕が思い出したのは、1ヵ月ちょっと前の「ひとり会」で談志が、「今の落語家は笑わせよう、ウケようとして、とんでもないトーンで会話を表現してる連中ばっかりだ」と嘆いていたこと。やはり同じ「小さんの弟子」ということだろうか。

 

小三治は続けた。

 

「客に向かって話すのをクサい芸という。そういうクサい芸で笑わせて喜ぶのは本当の落語じゃない。お客さんを笑わせるんじゃない、お客さんはつい笑ってしまうものなんだ。ウケ狙いは良くない……と判っていても、私もついそれはやりそうになるので、自ら戒めています。光景をイメージすることが基本、それが落語というもの。うわべだけで台詞を言ってもダメ」

 

さらに、この鈴本での独演会をやめようと思っていること、最初の数年はTBS「落語特選会」のプロデューサーだった故・白井良幹氏にこの会のプロデュースをしてもらったことを語り「白井さんが『いつか、軽い噺だけで会やりたいねぇ』と話していた、ということもあって、今日は『道具屋』でトリを取ろうと思ったんです」と説明した。

 

「本当は、今日でこの独演会を終わりにするところだったんだけど、そんなに突然やめられたらお客さんも困るでしょう、と説得されて『それもそうだろう』と。なので、来年でこの会を終わるのだ、ということをこのコーナーでさらりと触れようと思ったんですが、たっぷり話してしまいました」(笑)

 

さらに幾つかの質問が出たが、タイムリーだったのが「小さん襲名辞退」の件だった。

 

(この項続く)

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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