『昭和元禄落語心中』と神保町「らくごカフェ」【第74回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

2016年1月から『昭和元禄落語心中』がテレビアニメ化されたことは、「プチ落語ブーム」状況を大きく加速した。それは、実際にアニメを観た人数の問題以上に、「マスコミで落語が話題になった」ことが大きい。マスメディアにとっては、「落語を題材にした女性漫画が人気でテレビアニメとなる」という現象そのものが理解しがたい。だからこそネタにしやすかったのだろう。

 

WEB上でのインタビューを読むと、雲田はるこ氏が落語に惹かれたきっかけの1つは2004年の大河ドラマ『新撰組!』に桂吉弥が出演していたこと。大河ドラマを観て江戸文化に興味が湧く中で、『タイガー&ドラゴン』(2005年)や『ちりとてちん』(2007年)の「落語ブーム」状況を実体験し、「落語をもっと知りたいから落語のマンガを描きたいなと思うようになった」(「好書好日」2018年11月9日)のだという。

 

そして興味深いのは、2010年に始めた『昭和元禄落語心中』の連載について、雲田氏は「ちょうど描きはじめの頃は落語ブームが一段落していたので、描きながら『今更落語ものとか、これ絶対売れないな』って」(「このマンガがすごい!WEB」2016年1月30日)思いつつ、「まあでも自分の好きなものを描ければいいや」(同)という気持ちだった、ということ。あの2005年から数年間の「落語ブーム」をリアルに体験した人にとって、2010年頃は「一段落していた」状況だったのである。

 

その「一段落した」落語界に新たな波を起こしたのは、二ツ目時代の春風亭一之輔だった。2010年から2011年の一之輔の快進撃は落語ファンに「二ツ目の落語を楽しむ」ということを教えた。もちろんそれまでも、二ツ目時代から柳家三三を応援していたような一部の落語通は二ツ目の会に足を運んでいたけれども、ごく普通の落語ファンは人気者や実力派真打を追いかけるのに忙しく、二ツ目の落語を意識的に観に行く層はごく限られていた。その流れを変えたのは間違いなく「真打より面白い二ツ目」一之輔の登場である。

 

僕が2011年7月から成城ホールで“二ツ目の二人会”として始めた「こしら・一之輔 ニッポンの話芸」が、一之輔の真打昇進に伴い2012年7月から「新ニッポンの話芸」として新装スタートする際、統括兼プロデューサー野際恒寿氏と僕の間では、一之輔の代わりに「三遊亭きつつき、鈴々舎馬るこ」という2人の二ツ目をこしらと組ませる、という結論が、ほぼ即決で出ていた。つまり、その時点で野際氏も僕も「魅力的な二ツ目を追いかける」姿勢になっていたからこそ、「きつつき・馬るこ」という2人の名前がすぐに出てきた、ということだ。

 

当時、二ツ目の落語を聴く上で個人的に最も便利だったのは、神保町の「らくごカフェ」の存在だった。

 

らくごカフェは高座が常設された落語専門ライヴハウスで、50人ほど収容。フリーライターの青木伸広氏が「落語ファンが集まれる場所が欲しい」という夢を叶えようと、生まれ育った神保町に開店したもので、2008年12月に喫茶店としてプレオープン、2009年1月31日にこけら落とし公演として「立川談春一門会」が開かれ、2月から本格始動。若手を中心に昼夜で落語会が行なわれている。

 

らくごカフェ主催の企画として開店当初から続いているのが、毎週火曜夜の「らくごカフェに火曜会」。「二ツ目の会をやりたい」と青木氏が旧知の柳家三之助(当時二ツ目)に相談し、三之助と同じ落語協会に所属する有望な二ツ目に声を掛けてスタートしたレギュラーメンバー制の二人会で、真打になると卒業し、新たなレギュラーが参加するシステム。三之助の他に一之輔、鈴々舎わか馬(現・柳家小せん)、五街道弥助(現・蜃気楼龍玉)、三遊亭天どん、柳亭こみち等が発足時のレギュラーだった。

 

今でこそ「二ツ目の会」は当たり前だが、らくごカフェ開店当時はかなりチャレンジングな企画だったと思う。だが、一之輔がグングン台頭していく中で、「二ツ目を観る」ことは次第に当たり前になっていく。

 

2012年4月から桃月庵白酒、柳家三三に加えて新真打の春風亭一之輔がレギュラー入りした虎ノ門・JTホールでの月替わり独演会「J亭落語会」では、月ごとの主役が3席演じる他にゲスト枠で二ツ目が高座に上がるのが常だったが、一之輔独演会のゲストで三遊亭粋歌が出演して『影の人事課』を演じて大ウケしたのが2013年6月。それまでも粋歌の「女性ならではの新作」が好きだった僕は、この一席を観て「行ける!」と確信し、終演後の打ち上げで「J亭落語会」のプロデューサーに「粋歌さんの独演会をやりましょう」と提案した。その企画はすぐに通り、内幸町ホールで第1回の「粋歌の新作コレクション」が行なわれたのは2013年12月。毎回人気真打をゲストに呼んではいるけれども(初回は一之輔)、あくまで二ツ目が主役のこの会が1回目から大盛況だったのは、既に「二ツ目の落語を聴く」ことが普通になっていたからだ。

 

とはいえ、それ自体は「新しいファン層の開拓」には結びつかない。既存の落語ファンが新たな興味の対象を見つけ、足を運ぶ落語会の予定を書き込んだスケジュール帳に二ツ目の名前が少し増える程度のことである。

 

その「新しいファン層の開拓」に、『昭和元禄落語心中』が大きく寄与したことは間違いない。以下は、アニメではなく原作漫画についてである。

 

『昭和元禄落語心中』は、「落語の世界を漫画にした」のではなく、「落語家という存在である主人公の生き方を描く」人間ドラマとして、非常に優れていた。特に、原作の単行本2巻から5巻までに収録された「八雲と助六編」が秀逸で、個人的には単行本1〜2巻の「助六放浪編」にはあまり入り込めなかったものの、戦前から戦後の時代に遡って因縁を語る「八雲と助六編」に突入するや否や、俄然その世界に熱中させられた。

 

若き日の八雲(菊比古)と助六という対照的な2人の青春を描く「八雲と助六編」において、この2人が「落語家として生きる」ことは、テーマそのものである。職業としての落語家ではなく、生き方の問題なのだ。そして、時代背景を昭和にしたことは偶然ではなく、作者にとって「必然」であることがよくわかる。落語界の表層をなぞるのではなく、落語という芸能の本質に迫ることができたのは、この「時代設定に対するこだわり」があったからこそだ。

 

そして「落語という素材」の扱いも丁寧だ。作者は落語をきちんと理解しているがゆえに、作中で「落語を演じるシーン」を描く際の心配りが実に行き届いている。作品をきっかけに「現実の落語」に興味を持つか否かは、この「落語の描き方」に掛かっていると言っていい。そして雲田氏はそれを見事にやってのけた。

 

そして最も重要なのは、『昭和元禄落語心中』という作品が訴えているのが「落語は演者によって変わるもの」という真実であり、「時代と共に落語は生きていく」という結論を提示して完結した、ということである。

 

この作品の本質を理解するならば、昭和を描いた(平成初期までで完結する)作品でありながらも、そこで初めて落語に興味を持った読者が向かうべきは、「昭和の名人」ではなく今を生きる「落語家という存在」であるのが必然だ。

 

だからこそ『昭和元禄落語心中』は、「一段落していた」落語界にとって、新たな起爆剤となり得たのである。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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