「大銀座落語祭」【第14回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

小朝がかつて企画しながらも頓挫したという「銀座落語祭」構想は、「六人の会」の主催による「大銀座落語祭」という形で2004年7月に実現することになった。

 

小朝の「六人の会」結成の狙いはこの「大銀座落語祭」にこそあったと言っていいだろう。2003年の「東西落語研鑽会」スタートはあくまでも前哨戦。たかだかホール落語を成功させただけでは世間を巻き込むムーブメントにはなり得ない。小朝が目指したのは、前代未聞の落語フェスティバルを開催することで、既成事実として「落語がブームになっている」というムードを演出することだった。

 

2005年春に発売された演芸専門ムック『笑芸人Vol.16』掲載の鶴瓶インタビューによると、小朝は2003年3月の第1回「東西落語研鑽会」の打ち上げで既に「7月に大銀座落語祭をやるつもりだ」と語っていたという。それは(おそらく翌年を見据えて)、時期を「7月」と特定した、という意味だろう。1996年に「7月20日」として施行された「海の日」は、2003年からハッピーマンデー制度により「7月の第3月曜日」となった。つまり、7月に3連休が定められたということで、小朝はここに目を付けたということだ。

 

もちろん、大規模な落語フェスを実現するためには、金が掛かる。その点も抜かりがなかった。「大銀座落語祭2004」には「平成16年文化庁芸術団体人財育成支援事業」という冠が付いている。小朝は文化庁に話を通して国から金を引っ張ってきたのだ。

 

ここで僕は「小朝が」という言い方をしているが、もちろん名目上の主体は「六人の会」である。しかし、前述のインタビューにおいて鶴瓶は、「六人の会」発足記者会見のときも自分や志の輔、昇太らは「何をするのかわからず集められた」こと、その後も彼らは小朝の計画に「巻き込まれて」いるのだということを明かしており、たとえ小朝自身が言うように「六人の会」においては「全員一致」が原則だったとしても、すべてのアイディアは小朝から生まれたのは間違いない。

 

「大銀座落語祭2004」は7月17日(土)・18日(日)・19日(祝)の3日間、有楽町朝日ホール、銀座ガスホール、ヤマハホール、JUJIYAホール、ソミドホール、中央会館の6会場で開催された。当時のパンフレット等に、3日間のプログラムと共に掲載された「ごあいさつ」は次のようなものだ。

 

「大銀座落語祭は、六人の会が主催する落語の祭典です。東西合わせて百名を超える落語家、落語関係者の御理解と御協力を頂き、すべての会の入場料金が、通常では考えられない低料金に設定されています。これは、少しでも多くの方に、落語を楽しんで頂きたいという強い気持ちのあらわれです。どうそ色々な会をのぞいてみて下さい。そして、三日間ゆっくり楽しんで下さい」

 

そして【主催】大銀座落語祭実行委員会【後援】銀座通連合会・全銀座会・中央区【協賛】東京地下鉄株式会社銀座駅【協力】高田事務所・ねぎし事務所・橘右橘、といったクレジットが添えられている。

 

開催直前には銀座8丁目の資生堂ビル前で「六人の会」全員が揃ってのパフォーマンスが行なわれた。獅子舞、大神楽などによるオープニングに続いて登場した6人が大量のチラシを通行人に配布。続いて記者会見が開かれ、この模様は大きく報じられた。

 

プログラムを見てみよう。

 

2004年のメイン会場は有楽町朝日ホール。ここは「究極の東西落語会」と銘打ち、3日間昼夜でA・B・C・D・E・Fの6ブロックに分かれている。Aブロック(17日昼)は「こぶ平奮闘公演」「桂春団治の会」「志の輔の会」の3公演セット、Bブロック(17日夜)は「高田文夫・春風亭昇太・昔昔亭桃太郎」「笑福亭鶴光・月亭八方二人会」「当日まで秘密の会」のセット(「当日〜」は川柳川柳、林家いっ平、ダンディ坂野、パペットマペット他が出演)。以下、Cブロック(18日昼)が「小遊三・楽太郎二人会」「桂文枝の会」「三遊亭圓楽の会」、Dブロックが(18日夜)「こん平・たい平・いっ平の会」「小朝の会」「鶴瓶の会」、Eブロックが(19日昼)「花緑・風間杜夫二人会」「歌丸の会」「三枝の会」、Fブロック(19日夜)が「小米朝奮闘公演」「木久蔵・好楽二人会」「文珍の会」となっている。

 

銀座ガスホールは17日が「立川流vs上方の凄い人々」(ブラック、談春、志らく、福笑他)、18日は「夢の親子会5連発!!」で「権太楼・三太楼」「扇橋・扇遊」「さん喬・喬太郎」「圓歌・歌司・歌武蔵」「圓丈・白鳥」。19日は昭和の名人の十八番を弟子たちが演じる「芸の伝承の会」で、市馬、圓窓、圓蔵、雲助、文朝、志ん輔他が出演。

 

その他、JUJIYAホールでは3日間で「早朝寄席・大ネタ対決(文左衛門他)」「早朝寄席・木久蔵一門会」「落語珍品堂1・2」「圓朝寄席1(圓橘他)」「圓朝寄席3(喬太郎『熱海土産温泉利書』)」「花緑ピアノリサイタル」等々。ヤマハホールはこれも3日間で「手話で楽しむ落語会」「親子で楽しむ落語会」「落語家の映画特集(しん平・志らく等の作品上映)」等の他、特別プログラムと銘打って「吉原へご案内」「華麗なるマル秘芸の世界」「小沢昭一:落語と私」「東西名手の競演!(一朝・喜多八・染丸他)」といった公演も。ソミドホールでは17日に「正雀怪談噺の夕べ」「談笑超過激ライブ!」、19日に「圓朝寄席(談春・ぜん馬・三三)」と「橘家圓太郎独演会」。中央会館は19日の「小朝&綾小路きみまろの会」と「落語と歌舞伎夢のコラボレーション(落語家と歌舞伎俳優による鹿芝居他)」の2公演のみ。

 

これら多彩なプログラムが用意された「大銀座落語祭2004」の観客数は、延べ1万5千人。大成功と言っていいだろう。
もっとも僕自身はこの3日間、「大銀座落語祭」には行かず、普通の落語会にいつもどおり足を運んでいたのだが。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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