第5章 謙太(2)深海魚
谷村志穂『過怠』

BW_machida

2020/11/06

『移植医たち』では移植医療、『セバット・ソング』では児童自立支援施設。谷村志穂が次に手がけるテーマは最先端の生殖医療。
幸せをもたらすはずの最先端医療が生んだ“かけ違え”。日本と韓国、ふたつの家族、母と娘……二人の女子学生の人生が未来が翻弄される――――。

 

第5章
謙太(2)深海魚

 

 深夜の法医学教室は静まり返っている。先ほど、先輩の一人が隣の部屋の明かりを消して帰った。廊下に響く足音が次第に小さくなっていき、ついにこの七階のフロアには菜々子ひとりきりになったようだった。

 

 いよいよ、作業を始めることにする。
 グローブをつけて、手品でも始めるように、クリーンベンチに手を入れる。ゴミや埃、雑菌がコンタミネーション、混入しないように、無菌状態で操作するための明かりの灯った箱のような装置だ。
 すでに採取してきた父や母の一部の前処理は済ませてあった。
 本当にこんなわずかな体の一部を通して、親子鑑定などができるのだろうか。
 准教授川原は講義で、親子鑑定だけでなく、かつての様々な事件の解決につながったDNA検査の実例を聞かせてくれた。殺人事件の現場に残された髪の毛、血液、唾液などの話だ。それらが、殺伐とした現場から見つけ出される証拠品の数々となっていったと淡々と伝えた。

 

 

 菜々子も、証拠品を集めてやる気持ちだった。
 だが週末に出かけた湯河原の実家では、期せずして父や母、弟までもが顔を揃えて待っていた。
 食卓にのっていたのはあんこう鍋の具材で、生ぐさいあんこうが菜々子は苦手なのだが、
「せっかくだから、あんたが来るのに合わせて準備したのよ」
 と、母は言い、早速土鍋であん肝を空炒りした。そこに出汁を入れ、湯通ししたあんこうの切り身や長ねぎ、豆腐や白菜を入れて、実家の流儀で味噌仕立てにしていった。
 母は、薄化粧で部屋着にエプロンをつけていると、顔からいつもの険が消えて、世の中のごく普通の主婦に見えた。

 

「あんこうって、深海魚だろ。どうせ、キャンセルが出たお客さんの分とかなんじゃないの?」
 背丈のずいぶん伸びた弟が茶々を入れても、父は相変わらず朗らかな顔でコップに自分でビールを注ぎ、のんびり答える。
「深海魚だめか? 最近、湯河原じゃ、深海魚の寿司なんかも流行りなんだけどな」
「うわ、キモ」と、弟が言うと、
「あん肝で、キモと来るか。うまいこと言うようになったな、お前」
 と、落語好きな父は笑う。
 帰省しても、いつもなら父や母は旅館の仕事が忙しく、今回も菜々子はろくに構われない予定だったから、DNA検査に必要なものを堂々と、さっさと取って帰るつもりだった。なのにこんな時に限って家族団欒の場が用意されていた。弟もいるからか、いつにもないくらい、母も上機嫌だった。

 

 

 鍋から湯気が上がり、出汁の香りが広がっていた。くつくつする音も全てが、五感を刺激し、家族の温もりを伝えようとした。
「今日は、旅館、お客さんなしなの?」
 菜々子が訊くと、母は相槌を打った。
「この頃暇なのよね、何か手を打たなきゃ。あんたたち、今時の若者の知恵を貸してよ」
「ホームページがダサい」
 と、弟が即座に言い放ち、自分はジンジャーエールを勝手に注いで、続けた。
「特に〈女将の独り言〉っていうコラムが最悪」
「ちゃんと見てるんじゃない」
 と、菜々子は言って力なく笑った。
「だって、家の死活問題だろ?」
「やあね、心配しないでよ。あんたたちが大学を卒業するくらいまでは、なんとかなるわよ」
 そう言って母は笑ったのだ。
 湯気のせいなのか心の奥を揺すぶられ、菜々子は涙ぐみそうになっていた。ごく普通のいい家族ではないか。逆に今までそう思えなかった理由を、菜々子は彼らのせいにしたいだけなのかもしれないようにも感じた。

 

 やがて鍋が終わる頃には、父は酔ってソファで寝始め、弟も二階の自室へと上がっていった。
 片付けは菜々子も手伝った。終わった頃には、母が手を拭い、
「そうそう、忘れないうちにこれね」
 と、屈託なく、頼んであった母子手帳を菜々子に手渡したのだ。そんな母のどこにも隠し事をしているような気配はなかった。

 

 

 菜々子は、自分の部屋に上がると、まるで自分こそが深海にいたように、大きく息をつき、書棚の片隅に押し込んであった子どもの頃のアルバムを開いた。関心を寄せたこと自体、いつ以来だったろう。
 赤ん坊の頃は、父や母に抱かれている写真もあるが、弟が生まれてからは、いつも表情が乏しい。
 ほんの一枚だけだ。家族ではじめて冬の北海道へ行った時に、弟と自分がお揃いの白のタートルネックセーターにニット帽をかぶっている。あまり顔が似ているとは言えない姉弟が、お揃いの格好で大きなヒグマの像の前に立って笑っている。乳歯の抜けた弟の、ぽっかりした笑顔。
 確か正月明けの家族旅行の際の写真だった。商店街のくじ引きで、父が旅行券を当ててきたのだ。
 その一枚を剥がすと、菜々子は母子手帳に挟んだ。

 

 夜のうちに川崎まで戻るつもりだったが、検査に必要なものを採取する間がなく、深夜に皆が寝静まってから、階下に降りていき、家探しする盗人のごとくビニール手袋をつけ、ピンセットを持ち、洗面所の明かりをつけた。
 父の歯ブラシは、一本丸ごと拝借した。電動髭剃りに残っていた髭の粉も。
 それから母のヘアブラシについていた茶色く縮れたような髪の毛を七本。リビングに置いてあった母のスマホの画面は、准教授川原に手渡されたホスピタル綿棒で丁寧に拭った。
 まだまだ足りないような気がした。
 洗面台の上の鏡張りの扉を開けた。母は、誰にも見られたくないはずだが、奥歯に義歯をつけている。夜はそれを外して眠るのは知っていた。専用の容器に浸った、針金付きの義歯をつまむ。この表面もホスピタル綿棒で拭った。
 「取れそうなもの、できるだけ取ってきなさい」と、川原は言った。一番確実に検査をするなら、口腔内細胞を綿棒でこすることだが、他にも方法はある、と、法医学者のプライドをかけて、歯ブラシやスマホ画面のことを教えてくれたのだ。
 もう決着をつけなくてはいけないと思った。この家族には、本当は何か、真実が隠されているはずなのだ。それが長年自分をひねくれさせてきたのかどうかは別として。

 

 翌早朝に目覚めると、菜々子は実家に置いてあったツイードの冬物や厚手のニットなどを紙袋に詰め、玄関先で思いついて弟の分の歯ブラシも取りに戻った。
 後で不思議がられたら、医学部の実習で必要だったとでも言えばいい。
 湯河原の駅から始発に乗った。

 

 

 DNA検査の手順はノートに書き写してある。
 大きな流れは、試料(サンプル)の採取→DNAの抽出→PCR(DNAの増幅)→DNA型の検出だ。

 

 それぞれの留意点と専門の器具は、まだノートを確認しながらでないと、すぐに間違えそうだ。
 1.試料(サンプル)採取。
 髪の毛や歯ブラシは、乾いた状態のものがベター。DNAが取れる。湿気があると、DNA分解酵素活発となり、DNAは分解されてしまう可能性あり。
 これは、なんとかできた。
 
 2.サンプルの溶解。
 ここからが、DNAの抽出作業だ。
 サンプルを、1.5mLチューブという名の、滅菌済みの細長い小さい容器に詰めて、タンパク分解酵素や界面活性剤を調合した溶解液を注ぎ入れる。
 チューブを56℃のサーモミキサーにセットして、数時間からオーバーナイトで撹拌する。
 サンプルは、綿棒なら先端をカットして、二片くらい、髪の毛なら毛根部を四、五本。
 ハサミやピンセットも滅菌するよう注意。

 

 母の髪の毛、父の髭、歯ブラシの毛先、綿棒の頭、家族のいろいろな一部が今はサンプルとなって、チューブの中に浮いている。
 法医学教室のサーモミキサーこと恒温振盪機は、ドイツのエッペンドルフ社製だ。両手に抱えられそうな大きさの、無機質な白くて四角い箱が動き出すと、必要な熱を浸透させていく。
 医療機器の中に、彼らを閉じ込めてしまったかのような気持ちが湧いた。しかし、これをセットして少なくともオーバーナイトすれば、チューブの中は一見跡形もなくなり、代わって記号化された真実が溶け出すはずだった。 

 

次回に続く(毎週金曜日更新)
photos:秋

谷村志穂『過怠』

谷村志穂

tanimura shiho 1962年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部にて応用動物学を専攻。1990年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーとなる。1991年『アクアリウムの鯨』発表し、小説家デビュー。紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。2003年北海道を舞台に描いた『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。作品に『余命』『黒髪』『尋ね人』『ボルケーノ・ホテル』『大沼ホテル』『移植医たち』『セバット・ソング』など。『海猫』は故森田芳光監督により2004年、『余命』は生野慈朗監督により2009年映画化される。最新刊に『りん語録』。北海道・七飯町(大沼国定公園)観光大使、はこだて観光大使、北海道観光大使も務める。
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