「子どもが何とかしてくれる」の当てが外れた高齢者たち――(2)
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頼るつもりだった子どもが急逝――深刻なダメージ

 

伝統的家族観を自明とする長寿者が陥る苦境には、同居の場合に多く見られる「家族観の相違」による苦境だけではなく、特に長寿期の親だからこそのものがある。

 

それは「逆縁」の憂き目に遭うことである。

 

「元気長寿者」の話を聞く仕事を始める前、長寿期が、親より子どもの方が先に逝く「逆縁」リスクが高まる人生ステージである事実に、私は思い至らなかった。

 

しかし、話を聞き進めるうち、1人ならず、数人の「逆縁」体験者と出会った。

 

そして、そうした人たちの話を聞く中で、子どもに人生の最終ステージを委ねるつもりだった人にとって、それ(逆縁)がいかに深刻な苦境をもたらすかという事実に、改めて気付かされたのだ。

 

このことを、88歳までは「元気長寿者」だったが、息子の死を境に、想定外の暮らしになったというDさんの例から見ていこう。

 

帰郷を待ちわびた息子が逝き、想定外の人生になったDさん(98歳)

 

《Dさんのプロフィール》
98歳。夫はDさんが68歳の時に死去、その後ひとり暮らし。88歳までは、世話好きで友人も多く、2人の娘たちの子育て(Dさんにとっては孫育て)の支援や、地域の世話役をして生き生きと暮らす「元気長寿者」だった。

 

長女は隣の市、次女(61歳)が同一市内に居住。しかし88歳の時に、定年退職後、帰郷し同居する予定だった長男が死去。その悲嘆の中で、認知症を発症し、次女と同居を開始。

 

Dさんが倒れた後、同居し面倒をみてきた次女は、母親の88歳からの長寿期10年間の苦境を次のように語る。

 

次女 「母は兄が定年後、嫁とともに郷里に帰り同居し、家の継承と墓の守り、老後の介護、死後のことを託したいと願い続けていました。しかし、88歳の時、その兄が病死し、それがショックで認知症が始まり一気に進行しました。

 

その後、私の家に引き取りましたが、嫁に出した娘の世話にはなれないと、いつも私の夫に気を遣っていました。

 

ほぼ10年間家でみてきましたが、今年初めにインフルエンザに罹り、その後、肺炎で入院し、加えてたびたびの緑内障発作で視力をほぼ失い、在宅介護が困難になり、ひと月半の入院、そこを退院後は、介護老人保健施設に3カ月、老健退所後は、やっと見つけた介護付き有料老人ホームでお世話になっています。

 

入院中から続く夜間不眠と、異常なほどに頻回の尿意を訴え、それも目が見えないので大声で叫ぶため、施設側が悲鳴をあげ、精神病薬を処方され、副作用で母の人格がどんどん壊れていくのを目の当たりにして、とてもつらい毎日です。

 

病院も、医療費より個室料や昼間の付き添い料で何十万もかかり、施設も月に二十数万円かかります。母の年金では到底まかなえず、母の預金をどんどん崩しています」

 

息子を失った悲嘆、心ならずも世話になることになった娘の夫に対する気兼ねのある暮らし、次々に襲う病魔、こうした幾重にも重なる苦境が、息子亡き後のDさんの暮らしとなった。

 

Dさんは、息子の訃報を聞くまでは、自分がこのような境遇になるなんて夢にも思わなかったに違いない。それはDさんの次女も同じである。彼女は、「兄が死去し、母が病に倒れるまでは、自分に親の介護をする暮らしが待っているなんて、夢にも思いませんでした」と言う。

 

「ドタリ」の後で窮地に陥らないための備えは

 

こうした苦境は、親に経済力がなく、介護保険もなかったかつての時代なら、年寄りの運命として受け入れるしかない面があった。

 

しかし、Dさんの場合には、経済的に恵まれ、今は介護保険もある。倒れるまでは自他ともに認める「元気長寿者」だったのに、なぜ、このような窮地に陥ったのだろうか。そこに陥らないための備えとして、何が必要だったのだろうか。

 

まず、必要だったのは、元気なうちから、自分が倒れた時、どこで誰の手助けを受けて暮らしたいかについて考え、自分の意向を固めておくことであった。子どもに人生の最終ステージの身の振り方を丸投げし、その「当てが外れた」場合、長寿期の脆い身体と心が受けるダメージは大きく、痛手はさらに深まる。

 

次に必要なのは、子どもがいる場合、親の気持ちをわかってくれているだろうと忖度し、期待しないことである。

 

親と子どもは住む世界も異なり、価値観も異なっている。何より、戦後の新しい家族観を身につけた子ども世代とは、親子観、夫婦観が異なっている。

 

だから、子どもが数人いる場合は、喜寿や傘寿などの人生の節目や、盆・正月などの皆が集う場で、自分の意向を伝えておくことである。あらかじめ親の意見を皆が聞いておくことで、前回に登場したCさんの例のような、きょうだい間の葛藤を減らすことができるかもしれない。

 

子どもの側が「しておけばよかった」と悔やむこと

 

そうした親側の備えとともに、親の長寿期10年を支えてきたDさんの次女は、自分が備えておけばよかったこととして、次のようなことを挙げる。

 

次女 「私が準備不足だったと強く思うのは、母の認知症がひどくならないうちに、聞きにくいけど、家でみられなくなった時にどうしたいか、どんな施設で過ごしたいかを母とともに考え、具体的に見学し、費用も知っておくべきだったこと。

 

病院に入院中に、医療費以外の個室代や付き添い費用がどれだけかかるかを知らなかったこと。

 

総合病院を退院後、すぐに家に帰れない時に、どういう病院や施設が利用できるのか、費用はどれだけかかるのか、どんなサービスを受けられるか、いつまでいられるのかなどを知らなかったこと。

 

病院や施設の相談員も、母に最適な施設を具体的に提案したり、空いた所を探してくれるわけではないこと(も知らなかった)。高齢の親がいる場合、家族自身がこうしたことについて、しっかり考えておくべきだったということです」

 

彼女の場合、認知症の周辺症状を理由に、母親に個室や付き添いが要求され、高額の出費が必要だったこと、また、施設で暮らす母親がおかれる過酷な現実を目の当たりにしたことから、病院や介護施設の現状や制度について、常日頃から学び、情報収集していなかったことを悔やんでいた。

 

 

以上、『百まで生きる覚悟――超長寿時代の「身じまい」の作法』(春日キスヨ著、光文社新書刊)から抜粋・引用して構成しました。

 

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