儒教の祖・孔子はなぜ三大聖人の一人になれたのか?
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『論語』という言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? 古くてわかりにくいものだと思っていませんか? そんなことはありません。先人たちが人間の悩みを考えに考え抜いた結晶で、後世まで読みつがれるいわば生きるための指南書です。明治以来、日本は西洋中心主義に傾いてきましたが、その限界が見え隠れする現在に、「東洋思想の力」を見直してみてはいかがでしょうか。

 

 

『論語』で有名な孔子という人がいますよね。春秋時代の学者・思想家で、儒教の祖といわれている人です。

 

孔子は、73歳で亡くなるときには聖人になっていましたが、20歳くらいのときの孔子だったら、今の東証一部上場の会社には入社できなかったでしょう。なぜかというと、教養がない人だったからです。礼儀は正しかったと思うけど、ほかの知識もなく、人間性に欠けるところもあった。20歳のときにそんな状態だった人が、50年間で三大聖人の一人になったのです。
どうしてそうなれたのか?

 

その答えは『論語』に書いてあります。たとえば、「期なし必なし固なし我なし」です。 「期」は、期日の期で、「何日までにやる」ということです。「必」は「必ずやる」ということ。

 

「期」も「必」も、どちらも良いことですよね? 今、みんなそうしようと努力していますよね。

 

ところが、物事はそう単純じゃない。やればやるほど、のめり込んでいきます。「期日通りやろう」「必ずやろう」と考えていると、人間はどんどん視野狭窄になっていきます。周りも全然見えなくなる。まさに、傍若無人、かたわらに人無しです。だから、一人張り切ってやっていても、みんな「いいかげんにしてくれ」というような状況になってしまったりする。社会的に見れば問題がある行動にどんどん深入りしていってしまうことすらあります。

 

「期なし必なし」とは、そういう状況に対する高度な警告なのです。

 

つまり、最初は意欲を持ってやっていることが良かったのだが、途中からそれが良くない状態をつくり出すということです。

 

「善極まれば悪となる」「陽極まれば陰となる」ですね。そういうことにも気をつけないといけない。

 

さらに「固」は固執、「我」は我執で、どちらも執着しすぎることの弊害をいっているのです。

 

そういう危険性が人間にはあるということを理解して、その危険性に対するしっかりした軸を形成したことが、孔子を三大聖人の一人にしたと言われています。

 

つまり、最初から悪いということではなくて、「やっているうちに悪くなる」というところに思いが至るかどうかが、非常に重要なのです。

 

 

以上、『ぶれない軸をつくる東洋思想の力』(光文社新書)より、一部改変してお届けしました。

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田口佳史(たぐちよしふみ)/枝廣淳子(えだひろじゅんこ)

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