人は科学的に考えるのはもともと苦手なのではないか?
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新聞社の科学記者として、生命科学や環境問題、科学技術政策などの取材を担当してきた三井誠さん。三井さんはこのたび『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書)を上梓しました。科学の取材を長く続けてきた三井さんにとってアメリカは、科学の新たな地平を切り開いてきた憧れの地でした。2015年、米国の首都ワシントンに科学記者として赴任が決まった時、科学の歴史が作られるアメリカの現場を見たいと心が躍ったといいます。しかし、「科学大国アメリカ」の地で三井さんの興味を最も惹き付けたのは、意外にも、最先端の科学ではありませんでした。三井さんの心の中に不可解なものとして居座り続けたのは、アメリカで広がる「科学への不信」だったそうです。前回のコラムでは、「地球温暖化は税金の無駄」「進化論は科学者のでっちあげ」という言説が跋扈するアメリカ社会の一端をご紹介しました。今回のコラムでは、科学と社会の関係の詳しいオークランド大学(中西部ミシガン州)のマーク・ネイビン准教授(社会・政治哲学)がインタビューで話してくれた言葉を紹介しながら、私たちが物事を判断する時、頭のなかを支配しているものは何か、そして、先進各国に共通する課題について考えていきたいと思います。

 

もともと人は理性的ではない

 

「地球温暖化はでっちあげ」と言ったり「進化論は科学者の予算獲得の口実」と言ったりする、科学的とはいい難い発想について、「正しい知識がないからだ」と見なす考え方があります。正しい知識がないから、科学的に振る舞えないという考え方です。逆にいえば、「正しい」振る舞いは科学的な知識によって導かれるということでもあります。

 

しかし、本当にそうでしょうか。

 

科学と社会の関係に詳しいオークランド大学(中西部ミシガン州)のマーク・ネイビン准教授(社会・政治哲学)がインタビューで話してくれた、次の言葉を紹介します。

 

「私たちが科学的な知識に基づいて判断することなんてほとんどありません。人は、自分で思っているほど理性的に物事を考えているわけではないんです。何かを決める時に科学的な知識に頼ることは少なく、仲間の意見や自分の価値観が重要な決め手になっているのです」

 

私自身のことを振り返ってみても、何かを判断する時に頭の中を支配しているのは、感情や価値観のような気がします。もっともらしい理屈や、それを裏付ける知識は、決めた後に補強材料として付いてくるように思えます。科学的な知識があるかどうかと、「正しく」判断することとは、それほど関係がないのかもしれません。

 

例えば、地球温暖化を認める人がみんな、二酸化炭素による温室効果の仕組みを理解しているわけではないでしょう。私自身も、きちんとわかっているのか自信はありません。

 

ざっくりといえば、「信頼できる国際組織の結論だから」あるいは「頼れる、あの人が言っているから」といった理由で人は判断しています。科学的な知識よりも、まわりの人の意見や自分の価値観に左右されます。権威あるアメリカ大統領が温暖化を疑うのであれば、それを聞くアメリカ人がそう思うのもある意味、自然です。

 

科学者が「科学は証拠に基づく」「科学は事実であり、意見ではない」と科学を特別なものとして訴えても、普通の人にとってはそうではありません。科学のことであっても、ほかのことを考える時と同じように理性や論理だけでなく、感情や本能的な好き嫌いがごちゃ混ぜになった、人間らしい心で判断しているのではないでしょうか。

 

先進各国に共通する課題

 

米国で広がる科学不信に迫る取材では、地球温暖化の懐疑論を広める保守系シンクタンクを訪れたり、創造博物館で創造論を信じる人たちの話に耳を傾けたりしました。科学不信の背景を知るために、学会に参加して研究者の講演を聞き、インタビューをしました。

 

取材を繰り返すうちに、私は「人は科学的に考えることがもともと苦手なのではないか」と考えるようになりました。

 

同時に、人類が進化の末に獲得した「生きる知恵」と、科学が発達した現代社会に求められる「生きる知恵」には、根本的なずれがあるのではないかと感じるようになりました。そして、反科学的な姿勢を取るトランプ大統領は、そのずれの底からわき上がってきたのではないかと思えたのです。

 

数百万年にわたる長い人類の進化を考えると、「ごく最近」といえる時期に誕生した科学に、私たち人類はまだ適応できていないのかもしれません。

 

しかし、人類の適応を待つことなく、科学技術は社会に深く入り込んでいます。科学的な解決策が求められる地球温暖化が、人々の生活を脅かすまでに進みつつあるという問題もあります。だからこそ、科学とうまく付き合い、科学的な発想を現代社会の問題解決に役立てることが重要なのだと思います。

 

日本でも、ワクチンの安全性や、放射線の健康影響など科学にかかわる問題が社会のなかで対立を生み、ときには感情的な議論につながっています。科学と社会を巡る不協和音は多かれ少なかれ、先進各国の共通する課題だと思います。

 

※本稿は、三井誠『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書)の内容の一部を再編集したものです。

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ルポ 人は科学が苦手

ルポ 人は科学が苦手アメリカ「科学不信」の現場から

三井誠(みついまこと)

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