akane
2019/06/27
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2019/06/27
前回のコラムで、11年周期と呼ばれている太陽の黒点の増減を見出したのは、ドイツのアマチュア天文学者(もともと薬剤師)ハインリッヒ・シュワーベであることは触れました。
イギリスの天文学者リチャード・キャリントンも、シュワーベの発見に刺激されて黒点の観測を始めた一人でした。
ロンドン郊外の自らの天文台で1853年から1861年まで黒点を観測し、太陽の差動回転(天体の各部分が異なる角速度で回転する様子を指す言葉)と、11年間の1活動周期中に黒点が発生する緯度が高緯度から低緯度へ移動していくことを、同時代のドイツの天文学者グスタフ・シュペーラーとそれぞれ独立に研究しました。
さらには、シャイナーがおよその方向を求めていた太陽の自転軸と標準的な自転速度を高精度に決定しました。これらは、現在でもほぼそのままの値が使われています。
さらに彼は別の重要な発見もしています。
キャリントンは毎日熱心に黒点観測を続ける中、1859年9月1日の観測中に、ある大黒点の周辺が突然明るく輝き出したことに気づいたのです。しかし、その輝点は場所を移動しながら数分で消えてしまいました。
1859年のキャリントンのフレアで注目すべきは、その大きさだけでなく、その直後に見られた地球上の出来事でした。
まず、翌日になって、大きな磁気嵐が発生します。
ロンドンのキュー天文台で得られた地磁気のデータでは、9月2日になって記録が振り切れてしまうほどの大きな地磁気の変化が起こったことが分かっています。
それとともに世界各地でオーロラが見られ、しかも異様に明るかったことも伝わっています。通常、オーロラは極地方で見られるものですが、はるか南のハワイやキューバ、アフリカのサハラ以南、そして日本でも見られたのです。
それだけなら前代未聞の奇観というだけに過ぎませんが、さらに欧米の電信網が故障するという事態が発生しました。
電信機が壊れたり、火事が発生したり、技手が感電したりということが起こったのです。
当時、日本はまだ江戸時代でした。
一方、世界は電気の時代を迎えていて、電信で瞬時に情報を送るというのは欧米ではすでに実用化していました。遠隔の場所を電線でつないでモールス信号で通信するのです。
ちなみに日本に黒船で来航したアメリカのマシュー・ペリー提督は、電信装置を江戸幕府に贈り、デモンストレーションを行っています。
この当時、欧米では電信網が拡大を続けていて、しばらく後、日本で明治維新を迎える前にはもう大西洋海底ケーブルが実用化されて、ヨーロッパとアメリカがつながっています。
現在の知識では、キャリントンらが見たフレアにともなって太陽から物質が大規模に惑星間空間に放出され、それが地球磁場にぶつかったと解釈できます。
それによって大きな磁気嵐が発生したため、電信用の電線が長距離にわたって引かれていたところに異常電流が流れて、様々な故障が発生したのです。
このように、フレアの観測は、その最初から地球での災害と結びついていました。
変わらぬ太陽とは異なる「変わる太陽」と、その地球への影響が見えた瞬間です。
ただ、電信に時々原因不明の障害が起こることはもっと前から知られていました。
さらにこの障害とオーロラとに関係があることは、1847年にイギリスの技師ウィリアム・バーロウが気づいていたのを始め、いくつも報告されていました。これらも、やはり磁気嵐が起こした現象と考えられ、観測はないものの、その時にはフレアも起こっていたものと思われます。
つまり、1859年になって、ついに大との原因である太陽フレアの観測が加わったというわけです。
1859年のフレアは大きかったとはいえ、人類の歴史の中では何回も起こっていても不思議ではないものです。
実際、日本で記録されたオーロラの中でも最も顕著なものとして知られている1770年のオーロラは、まれにしかオーロラが現れない京都で赤く明るく輝いたようです。
極地研究所の片岡龍峰らによる研究によると、その時起こっていた磁気嵐は、キャリントンらが見たフレアと同様か、さらに大きかったようです(Kataoka,R,&Iwasaki,K.2017,Space Wwather 15,1314)。
しかし、当時はまだ電気の実用化前で、被害らしきものの記録は残っていません。このように古い時代は、普段オーロラが見えないところで輝いた赤い光は、凶兆として恐れられたり火災の発生と間違えられたりということがあった程度です。
その後100年も経たない間の文明の発達で、電気を使うようになってから起こった大フレアは災害の原因になりました。現代は、過去に比べてはるかに高度・複雑な文明社会になっていて、うっかりしていると大フレアは計り知れない影響をもたらすことになります。
大フレアは、高度文明社会のアキレス腱といってよいでしょう。
キャリントンが観測したフレア後に起こった現象は、当時、すぐに太陽フレアと結びつけられたわけではありませんでした。
一部の研究者は、もしかすると太陽フレアが起こったことが地上のいろいろな出来事の原因ではないかとも考えたようですが、一般にはそのようには理解されませんでした。
地球での現象はフレアの翌日に起こっています。フレアで太陽面が明るく輝くのが見えたということは、その瞬間にはフレアからの光が地球に到達しているわけで、翌日というのはずいぶんと遅いことになります。
実は、フレアから来たX線によって起こった短時間の地磁気変動である「太陽フレア効果」と呼ばれる現象は、この時すでに見えていました。これは大きなフレアでしか見えない、比較的まれな現象です。
しかし、さらに大きな地磁気の変化と、それにともなういろいろな激しい現象は翌日に起こっていて、太陽面上の現象と地球の現象を結びつけるには至っていませんでした。
フレアと磁気嵐の発生はたいてい2~3日ズレていて、むしろキャリントンのフレアで1日しか差がなかったというのは例外的です。
その後フレアの観測方法が進歩してより多くのフレアで磁気嵐との関係が調べられるようになっても、この時間差のため、なかなか直接関係があると考えられるようにはなりませんでした。
今では、フレアとともに起こることも多い「コロナ質量放出」という現象がそのカギであることが分かっています。
太陽からは光だけでなく、毎秒数百キロメートルないしそれ以上という、実に大変な速度で物質も放出されていて、特に爆発的に大量にものが放出されると地球にも影響します。
太陽面爆発では、放出された光も地球に影響しますが、むしろ太陽から放出されたものが地球にやってくる方が深刻な影響を及ぼします。その放出されたものが太陽から地球に到達するまでに典型的には2~3日かかるのです。
このことが理解されるまで、この後数十年もかかることになるのですが、実は、このコロナ質量放出という現象は、キャリントンのフレアのわずか1年後に、その正体は分からないままではあったものの、初めて観測されています。
※本稿は、花岡庸一郎『太陽は地球と人類にどう影響を与えているか』(光文社新書)の内容の一部を再編集したものです。
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