akane
2019/08/07
akane
2019/08/07
4月1日、ニューヨークはとにかく寒かった。
すでに辺りが暗くなっていたジョン・F・ケネディ空港から外に出て、ウーバーに乗り込む。ニューヨークの美しい夜景を眺めながら50分も走ると、マンハッタン島へ入った。
まずはお楽しみのタイムズスクエアをぶらぶら。テレビや写真で何百回と見てきたあの光景が、今目の前にある。
散歩して気づいたが、ニューヨークはロサンゼルスほどバリアフリーではない。地下鉄の入り口も階段が多いし、店の入り口も段差があるところが多く、扉も自動のものは少ない。
ここでさらに、雪が僕を襲った。雪が降ると車椅子をこぐ時にすべるし、路面も濡れて危険この上ない。タイムズスクエア前の延々と続く上り坂を、雪舞う中何十分もかけて登ったことを、僕はきっと忘れないだろう。
とにかく寒いので、スピード重視で歩いていると、足の下にあるちょっとした段差に気づかず、膝から地面にダイブ。
顔面はダメだ!!
右肩をついてなんとか無事に受け身をとったのだが、足の親指からは血が出るわ膝は強打するわで、散々。しかも、ただでさえ交通量の多いニューヨークの交差点。体は無事でも、車は縦横無尽に走っているし、道路のど真ん中に倒れている自分から、車椅子が遠くに離れてしまって何もできない。
恐怖が脳裏によぎった瞬間。急にふわっと体が浮いた。
一瞬ののちに我に返ると、僕はジェントルなニューヨーカーの手で、背後からヒョイっと持ち上げてられていた。目の前には若い女性2人が、スッと車椅子を元に戻してくれている。横からは50歳くらいの黒人のおじさんが無言で「これ、お前のだよな?」といった表情で、僕の手からふっ飛んでいったスマホを手渡そうとしてくれている。
これらのやりとりが行われた時間約15秒。ついさっきまで、ここにいるお互いがお互いを知らなかったというのに、一瞬でこのチームワークがとられていた。
彼らは何事もなかったかのようにその後、ばらばらと方向転換し、それぞれの行き先に向かって歩いていった。僕からの精一杯のお礼の言葉を背中に受けながら。
世界一周の旅を終えて思ったことがある。僕は語学が堪能な訳でもないし、足以外に腕にも障害がある。それなのにどうして、こんなにもハードな旅を無事に終えることができたのか。
それは僕が出会った“世界共通のバリアフリー”のおかげだろう。『人』である。
滞在した国々で、たくさんのバリアを体験した。悪路、段差、急な坂道、階段、他色々。
しかしだからとて、諦めたことは少なかった。何故ならその場その場で、その国の人たちが僕を助けてくれたからだ。
「どうした?」
「押してやるよ」
「俺がついてってやるから安心しろ」
そんなことを、口々にみんなが声をかけてくれた。
帰国して、ふと思った。そんな世界共通のバリアフリーが、日本にもあるのかな?
今後も大勢の外国人、そして外国人の障害者がこの日本にやってくるだろう。そんな彼らが困っている時に、目の前を素通りしてしまう日本人にはなってほしくない。
困った人を助ける。そんなことが当たり前にできる国になってほしい。
以上、『No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』(光文社)から一部抜粋しました。
三代達也(みよ・たつや)
1988年茨城県出身。18歳の頃バイク事故で首の骨を折り頸髄を損傷、車椅子生活を余儀なくされる。2008年、約9ヶ月間23カ国42都市以上を回り、世界一周達成。車椅子だから“こそ”の旅の魅力を全国で講演している。
公式ブログ http://wheelchair-worldtrip.com/
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