『戦国十二刻始まりのとき』著者新刊エッセイ 木下昌輝
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戦国の一日は本田圭佑の一瞬

 

どうして、本田圭佑の無回転シュートはあんなに美しいのだろう。どうして、ボクサーのコンビネーションはあんなに華麗なのだろう。そして勝敗を紙一重で行き来するカウンターパンチは、なぜあんなにも儚(はかな)いのだろう。

 

決戦に挑む者の、一瞬に凝縮した美しさゆえだろうか。それとも私が無事に『戦国十二刻始まりのとき』を刊行できた喜びで、自分に酔っているだけだろうか。

 

本書は、前作『戦国24時さいごの刻(とき)』(文庫版は『戦国十二刻終わりのとき』)の続編である。戦国時代の合戦のある一日を切り取った。取り上げたのは応仁の乱、厳島の合戦、斎藤道三の下克上、竹中半兵衛の稲葉山城乗取り、関ヶ原の合戦、大坂の陣。毛利元就や斎藤道三、竹中半兵衛、島津惟新、長宗我部盛親らが主人公だ。

 

長い乱世の中では、一日は本田圭佑の無回転シュート同様に一瞬にしかすぎない(やや、こじつけ臭いけど)。短編一編一編を、本田圭佑がPKに挑むような気持ちで書いた(嗚呼、また自分に酔っている)。

 

本田圭佑のようにブツブツひとりごとを言いながら書いた。本田圭佑が気の弱いキッカーからPKの役割を奪うように、カフェの席を奪ってノマドした。果たして無回転シュートの美しさに迫れたか否かは、読者の判断に委ねたい。

 

前作同様に、結末を冒頭に明示した。歴史小説は史実から逸脱できない。あまりにも大きな制約だ。本シリーズはそれを逆手にとり、史実(結末)を最初に書いた。制約があるからこそ、できることがある。

 

サッカーは手が使えないからこそ、美しいフェイントやドリブル、本田圭佑の無回転シュートが生まれた。

 

ボクシングは足で攻撃できないからこそ、華麗なコンビネーションや勝負を分ける紙一重のカウンターを編み出した。

 

本田圭佑やボクサーのように、私は史実という制約の中で、美しい物語を創りたい(また自分に酔っている)。

 

結末を冒頭に明示する『戦国十二刻』だからこそ、できる何かがあるはずだ(もう自分にグデングデンに酔っている)。

 

その何かが読者に伝われば幸いだ。あと、このエッセイを読んで、木下が無事本書を刊行できて、自分に酔いまくっていることも同時に読み取ってほしい。

 

きっと明日は、二日酔いだ。

 

『戦国十二刻始まりのとき』
木下昌輝/著

 

相国寺の焼亡、土岐家の滅亡、厳島の合戦勝利、稲葉山城乗取り、島津の敵中突破、盛親大坂城脱出。応仁の乱から大坂の陣まで。乱世を生きる男たちの、新たな時代へとつながる濃密な24時間。逸話史実を操り奇想仮説で読者を翻弄する、時代小説イノベーション!

 

PROFILE

きのした・まさき

1974年奈良県生まれ。2012年「宇喜多の捨て嫁」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。単行本は直木賞候補に。7月に『天下一の軽口男』が大阪ほんま本大賞を受賞。

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