ryomiyagi
2020/06/02
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2020/06/02
国道371号線は紀伊半島の中央を縦断し、大阪河内長野(かわちながの)から本州最南端の串本(くしもと)まで続いている。
熊野古道中辺路(なかへち)と並走する国道311号線と交差したあとは、名前こそ国道だが谷あいを蛇行する幅の狭い山道だ。
住む人がひとりもいなくなった消滅集落をいくつか通り過ぎ、曲がりくねる狭あい道路をうんざりするほど走り続けたその先に、僕らの住む五味(ごみ)集落がある。
山の懐に抱かれた、谷川のほとり。日本でも有数の地図の空白地帯。
とはいえ何もないわけじゃない。
途中にある合川(ごうがわ)ダムはバスフィッシングの名所として知られていて、休日はボートに乗って楽しむ釣り客をよく見かける。
僕らの家の目の前を流れる川、その名も「前ノ川」は、鮎釣りのメッカである日置(ひき)川へ合流する。ダムより上の清流で、良質な苔を食べて育った鮎は、美味だと評判だ。
このあたりはかつて、林業で栄えたそうだ。
戦後の復興のため、急増した燃料需要に供給が追いつかず、木材は高騰した。
そのころはこの山奥に喫茶店やパチンコ屋があり、丸太を運び出すトラックで山道が渋滞したという話だ。
しかし、1960年から1965年までの5年間に、林業従事者は約半数にまで減少する。
薪や木炭が中心だった燃料が、電気・ガス・石油に置き換わったからだ。燃料としての木の価値は暴落した。
代わりに、伐採された山に杉やヒノキなどの針葉樹が植えられた。当時、建築材としての木材の需要は増加していて、植林は資産を増やす確実な方法と言われていたのだ。
だが、建築材としての価値もすぐに外国製の木材や円高の影響を受けて低下。
採算が取れなくなった森林は、手入れも伐採もされずに、荒廃していく。
林業の衰退とともに、この地域の活力も失われていったそうだ。
今では人が住む家は数えるほどしかない、過疎地域となっている。
確かに交通の便は悪い。
最寄りの駅まで車で2時間。といっても、普通の道を運転するのとはわけが違う。一番近い信号機までの1時間は、自家用車がすれ違うのがやっとという山道。
ガードレールがない場所も多い。ハンドル操作を誤れば、谷底へ真っ逆さまだ。
夜のドライブでは必ずと言っていいほど、動物に出くわす。
シカ、イタチ、ウサギ、イノシシ、ハクビシン。
動物もだいたい見分けられるようになった。
*
もちろん街灯なんてない。
新月の夜には道の脇に車を停めて、外に出てみる。
ライトを消すと、自分が今目を開けているかさえわからなくなる。
毛穴のひとつひとつで空気の流れを感じて、一歩一歩進む。
でも、怖いと感じたことは一度だってない。
いつも安心感に包まれる。
この闇の中なら、何をしても、誰にも咎められることはない。
親も先生も常識もない。
本物の無条件の、真の自由は山の夜にしかないんじゃないかと思う。
空には圧倒的な数の星が輝いていて、山と山とをまたぐ橋のように天の川が横切っている。
夜の空気を胸いっぱいに吸い込むと、自分は真っ黒い大きな山の一部であると感じられた。
このあたりの山には平家の隠れ里だったという伝説がある。
落人伝説は全国各地にあるけど、熊野権現と関わりが深かった平家がここに逃げてきたというのは説得力があるように思う。こんな山の奥深い村なら、追っ手に気づかれっこない。
名を変えて山あいの僻地に隠れ住む気持ちはどんなだっただろう。
僕らみたいに案外楽しく暮らしていたらいいな、と思う。
夏は湿度こそ高いが、川からは清涼な風がくる。
冬でも雪が積もることはなく、寒暖の差は少ない。
過ごしやすい気候だけど、唯一気になるのは台風や前線の影響で雨が多いこと。
暴風雨による土砂崩れが多くって、頻繁に道が寸断されてしまう。
電線に倒木がひっかかるせいで、停電になることもしばしばある。
僕らにとって、台風が来るたびに電気が使えなくなるのは、当たり前のことだ。
今では数日買い物に行かなくても済むよう、しっかり買いだめして、水も風呂にたっぷり溜める。
人間、何にでも慣れるもの。
住み始めたころペーパードライバーだった僕は、今じゃマニュアルの軽トラで、細い山道を鼻歌交じりで運転できるようになった。
逆に街なかを運転するのは今でも怖い。
他の車がいると、自分がいくら気をつけても相手によっては事故に遭う。
街での運転は、常に道路標識に意識を払って、他人の迷惑になっていないか気にしなければならない。
だけど、山道での運転は、大海原を進む船のように豪快にハンドルを右に左に回して進む。楽しい。
ただ、対向車が来たときだけは、ツイてないなと気が落ちる。
バックしてすれ違えるところまで戻らなきゃいけない。
えー、こっちが戻るの? そっちのほうが近いじゃん。
でも感謝の意として短いクラクションを鳴らされると、少し得意な気持ちになる。
都会なら体がぶつかったって、謝る暇すらないのに。
初めは単に家賃がかからない場所として山奥に住み始めた。
でも今じゃ、山暮らしの素敵なところを、こうやっていくつも挙げられるようになった。
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