ryomiyagi
2020/04/01
ryomiyagi
2020/04/01
※本稿は、松瀬学『ONE TEAMのスクラム』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
ラグビーを取り巻く風景が変わった。
ラグビー日本代表は一躍、「時の人」となった。とくに「笑わない男」と言われたプロップ稲垣啓太はテレビやイベント出演に年末、年始と追われた。その人気たるや、ラグビーワールドカップ(W杯)直後にはスポーツ紙の1面に「熱愛報道」まで出たほどだった。
ラグビーW杯が終わった直後の2019年11月某日、東京・原宿で、「ラグビーW杯のDVD発売記念イベント」として、稲垣啓太と堀江翔太のトークショーがあった。ビルの2階のホール。ざっと200人が詰めかけた。
ほとんどが女性ファンだ。椅子席のうしろにも立っている人がずらりと並んだ。会場ヨコのドアから稲垣が姿をちらりと現すと、「キャー、キャー」と悲鳴に近い歓声が沸き上がった。まるでアイドルグループのコンサートではないか。
ラグビーをまったく知らなかった、いわば“にわかファン”が急増した。2019年の年間流行語大賞には、「ONE TEAM」ほか「笑わない男」など5つもノミネートされた。堀江が「おまえも入っているよな。もう笑えなくなっちゃったな」といじると、愛称「ガッキー」の稲垣は「そんなことないです」と真顔で言った。
「トレンドに入って、ラグビーの認知度が上がってきました。僕らとしても、うれしいものです。どんなスポーツを応援するにしても、最初は“にわかファン”ですから。誰しもが通る道だと思うので……。もっともっとのめり込んで、ラグビーの楽しさを知ってほしいですね」
ついでにいえば、年間流行語大賞には「ONE TEAM」が選ばれ、「笑わない男」は大賞にはならなかった。そのことを知った時の稲垣の反応が振るっている。
「あれ(笑わない男)はダメです。あれ(候補入り)は事故ですよ、事故」
にわかファンがほんとうのファンになるためには、日本代表の選手たちが所属チームに戻って激突するトップリーグ(2020年1月12日開幕)もオモシロい。稲垣はやさしい。「冬の観戦はすごく寒いので、腰かけ、ひざかけは必要です」とアドバイスを口にした。
「冬のラグビー観戦は見た目より機能性重視でお願いします。寒いんです。スクラムを組んでいたら湯気(蒸気)が立ち上るので。僕らのアツいプレーを見ていただければと思います」
ラグビーは格闘技の要素もある。激しい。Q&Aでは、女性ファンから「試合の時、痛くないですか?」と質問が出た。稲垣は「僕はそんな痛くなったことはないですけど」と淡々と答えた。
「ほんとうに痛くて立てない時は立てません。でも、ラグビーってプレーが止まらないじゃないですか。1人倒れたままになると、15対14のゲームになってしまう。だから、どんなに痛くても、プレーが止まるまで戦い続けます」
そういえば、稲垣の座右の銘は、レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説に出てくる〈タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない〉である。またコーヒー党として知られる。豆の種類はマンデリンが好みとか。スポーツ紙の見出しが笑わせる。
〈男は黙ってマンデリン〉
別の女性ファンから「試合前のゲン担ぎは?」との質問も出た。稲垣は「部屋の掃除」と打ち明けた。
「僕は試合前日に部屋の掃除をしますね。これは大学生の時から、続けていることです。万が一何かあったら、部屋が汚いとみっともないですから。今はそういうことを意識してやっているわけじゃないですけど、大学からやっているので、まあ、恒例行事みたいなものです」
それにしてもこの異常人気。生活しにくくなったのでは。
「歩けば、人は“アッ”となってくれますし、気づく人も多いんですけど、別に僕がやましいことをしているわけじゃないので堂々と歩いています。でも1人でいる時は道を空けてくれて、あまり話しかけてはこないですね。団体でいる時は、こうワーってこられるんですけど」
人気が出るというのは、プロの選手として悪いことではあるまい。
「個人としては認知されたのはうれしいですよ。バラエティー番組など、いろんなメディアに出させてもらってますけど、どこに出たって僕はラグビー選手ですし、選手として出ているという自覚、自信は持っています。そこは変わらないかなと思います」
稲垣は2013年、パナソニック・ワイルドナイツにプロ契約選手として加入した。14年11月15日に行われた日本代表対ルーマニア戦で初キャップを獲得した。15年にスーパーラグビーのクラブチーム、レベルズ(豪州)に入団。この年、ラグビーW杯の日本代表に選出された。16年には、サンウルブズのメンバーにも入った。
当然のごとく、負けん気は強い。2019年8月の網走合宿では、日本代表のポジション争いについて、「自分以外の選手が同じポジションに入っているのは見たくない」と漏らしたことがある。ラグビーW杯の最終メンバー選考の時だった。
「みんな仲がいいですけど、実は練習の中ではやり合っているんです。(候補合宿参加の)全員がメンバーに選ばれたい気持ちがある。僕だって、簡単にポジションを譲る考えなんてない。ずっと試合に出てきましたから、調整のために休めと言われても、納得できない部分がありますし、そんな簡単に周りにチャンスを与えるような真似はしたくありません」
ところで、一番聞きたいこと、なぜ笑わないのか。実は仲の良いパナソニックの布巻峻介によると、グラウンド外では普通に笑うそうだ。ただ、グラウンドではまず、笑わない。稲垣は「グラウンドは戦場だから」と説明したことがある。
「グラウンドで、試合中、へらへらするのはちょっと違うのかなって。勝ち負けでしか評価されない世界ですから。決勝で優勝したチームと準優勝したチームがあれば、僕は準優勝したチームはまあ、覚えてもらえないと思っているので」
稲垣は、スクラムの厳しさも楽しさも熟知している。ただ「スクラムの楽しさを伝えるのが一番難しいと思います」という。
「重要さでいうと、スクラムで相手にプレッシャーをかけた時に相手チームに与える影響は計り知れないですね。スクラムが1歩下がれば、ラインも1メートル下がりますから。セットピース主体のチームに対し、そのセットピースを制圧してしまえば、戦力の7割ぐらいを削ぐことができるじゃないですか。スクラムからボールが出なければ、プレーを再開させることもできないですし。レベルが上がれば上がるほど、スクラムの(コラプシングの)ペナルティーでとることができる(ペナルティー・ゴールの)3点が非常に大きいことはみんな、理解しています」
稲垣にとってスクラムとは。
「スクラムって一種の競技みたいなものですね。ラグビーにあって、スクラムは競技。そこはラグビーとは別個に考える必要があるんじゃないでしょうか」
そのスクラムという競技で、ラグビーW杯では最後に南アフリカにやられた。相手がFW7人の時は押し込んでコラプシングを奪ったけれども。
「一番大事にしている部分は、1本のスクラムではなく、80分間を通して、どうスクラムを組めたかということなんです。80分を通したら、(南アに)制圧されていたという印象が強いですね」
日本代表のスクラムの完成度は。「う〜ん。どうなんですかね」と考え込んだ。
「今の力をさらに伸ばせるような感覚はありますけど。10がマックスだとしたら、マックスを超えなきゃ、おそらく南アフリカのスクラムに勝つことは難しいでしょう。高いスタンダードを保ちながら、伸びシロをどこまで伸ばせるか。ラグビーは15人の集合体だから、ひとりひとりの能力をもっと高める必要もありますね」
ゴールはまだ先。
「2023年に(ラグビーW杯の)フランス大会がありますけど、その前に自分のやるべきことをしっかりやらないと日本代表に入ることもできないでしょう。まず、そのためには、トップリーグでしっかり結果を残して、また代表に選ばれて、さらに自分を磨いていくのが、自分にとっても大事なことじゃないでしょうか」
ずっとプロップのガッキーはスクラムに生きる。「自分自身の向上」のみを人生の目標に生きる修行僧のようなストイックさを醸し出す。笑わない。いや、笑っている余裕などない。南ア戦のスクラムこそが、さらに進化する次回ラグビーW杯への実は出発点なのである。
松瀬学(まつせまなぶ)
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.