1行クイズ「この偉人だ~れだ?」歴史小説家からの挑戦状! 【上級編】
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中国歴史小説『賢帝と逆臣と』(講談社文庫)や『劉裕 豪剣の皇帝』(講談社)などの著書を持つ歴史小説家・小前亮先生から、歴史好きのあなたに挑戦状!

 

“キャラ重視の人物事典”として話題の『世界史をつくった最強の300人』(小前亮・著/光文社知恵の森文庫)より、世界の偉人たちのアクの強いエピソードを厳選し、クイズ形式にワンフレーズで紹介します。 1行の問題文とヒントを頼りに、世界の偉人の名前を当てて下さい。

 

かなりマニアックな上級編は「歴史の教科書などで取り上げられる機会は少ないのですが、どなたも小説の主人公にしたいと思えるくらい魅力的な偉人たちです!」(小前先生)とのこと。10問中、あなたは何問正解できる?

 

Q1 胎児で即位した最年少皇帝
(三〇九~三七九 ササン朝)

 

ヒント…ササン朝九代皇帝。世界史上、もっとも若くして皇帝になった人物である。なにしろ、胎児のときに即位しているのだ。しかも、何人もいた兄たちをさしおいて。そこには当然、貴族やら聖職者やらの思惑がからんでいる。だが、当人は才気あふれる皇帝であり、長じて傀かい儡らいの境遇を脱すると、軍事でも内政でも実績をあげた。幼くして即位した君主というのは、周りの大人たちにスポイルされることが多く、このような例は珍しい。それにしても、才能どころか性別もわからない胎児を皇帝にしようなんて、よく思いついたものである。

 

Q2 「竹馬の友」「断腸の思い」の語源
(三一二~三七三 中国・東晋)

 

ヒント… 東晋の政治家・軍人。外では蜀の地を征服し、内では財政を立て直し、と実績をあげ、独裁的な権力を得た。しかし、帝位を譲り受けようとして果たせず、失意のうちに世を去る。「諸葛亮のようには生きられない(おれは皇帝になってやる)」「芳名を残せないなら、悪名を残してやる」と言い放ったように、実力はあるが、アクの強い人物であった。政治家としてはこれくらいが頼もしい。「竹馬の友」「断腸の思い」という故事成語の語源となったエピソードでも知られる。ちなみに、彼の言う「竹馬の友」は現在とは異なり、「昔からあいつはおれの手下だった」という意味である。

 

Q3 バツイチのサーカスの踊り子(娼婦)から皇后へ
(五〇〇頃~五四八 ビザンツ帝国)

 

ヒント…ユスティニアヌス一世の皇后。サーカスの踊り子(踊るだけではない)で、しかもバツイチだったが、当時皇帝の腹心であったユスティニアヌスに見初められた。ユスティニアヌスは、身分違いの結婚を禁じる法律を改正して、彼女を妻に迎える。聡明かつ勇気ある女性で、夫を助けて政治をおこない、貧しい女性や孤児の救済に努めた。都で反乱が起き、ユスティニアヌス一世が鎮圧をあきらめて逃げ出そうとしたとき、彼女は古い言葉を引用してそれを戒める。「帝衣は最高の死装束です」……地位を捨てて生き延びても仕方ない、逃げるくらいなら皇帝として死ね、と言ったのだ。この言葉に発奮したユスティニアヌスは、三万人の市民を虐殺して反乱を鎮圧する。いやはや、すさまじい夫婦である。

 

Q4 飲酒運転の象部隊
(?~六四二頃 インド・チャールキヤ朝)

 

ヒント…チャールキヤ朝(インド南部)の王。デカン高原をほぼ統一し、ヴァルダナ朝を破ってその南下を防いだ。軍の主力は象部隊だが、戦の前には兵士にも象にも大量の酒を飲ませ、酔っ払わせてから突撃させたという。そんな極端な戦法を使いながらも善政を布いていたが、宿敵のパッラヴァ朝との戦いで戦死した。酒が足りなかったのだろうか。

 

Q5 五つの王朝、十一人の君主に仕えた乱世の宰相
(八八二~九五四 中国・五代)

 

ヒント…中国五代の政治家。五つの王朝、十一人の君主に仕え、次々に支配者が替わる五代の中原で、政治をつかさどりつづけた。不忠者とのそしりはあるが、軍事政権ばかりの五代時代にあって、最低限の民の生活が守られたのは彼のおかげである。君に対する忠はなくとも、民に対する仁をつらぬいた人だった。

 

Q6 父・皇帝の伝記を著した、ペンを持った皇女
(一〇八三~一一五三/五四頃 ビザンツ帝国)

 

ヒント…ビザンツ帝国といえば、危機と再建をしょっちゅう繰り返しているが、彼女は再建のほうを担った皇帝の娘で、父の伝記を著した。つまり、皇女でありながら歴史家なのだ。執筆の動機は偉大な父を讃えることだが、叙述は客観的で高い教養を感じさせる。こういう人が出てくるから、ビザンツ史はおもしろい。

 

Q7 在位三カ月の女性スルタン
(?~一二五七 マムルーク朝)

 

ヒント…マムルーク朝初代のスルタン。もとはハーレムの女奴隷である。数奇な運命は、十字軍との戦争中に、スルタンたる夫が急死したことからはじまる。彼女は夫の名で命令を出して、ルイ九世ひきいる十字軍を撃退し、マムルーク軍団の支持を得た。その後、継子と争って、みずからスルタン位に即く。三カ月の在位中、謀略と政治の才を見せたが、女性であることが不利に働いたため、有能なマムルークを夫に迎えてスルタン位を譲った。しかし、内紛はつづき、夫が暗殺されると、その黒幕とみなされて殺されてしまう。夫とは対立しており、嫉妬もからんで暗殺の動機はあった。真相は闇の中である。

 

Q8 陳朝の誇り「降伏するなら私の首を打ってからにせよ」
(一二三二~一三〇〇 ベトナム・陳朝)

 

ヒント…「降伏するなら私の首を打ってからにせよ」と啖呵を切って、モンゴル軍の侵攻を迎え撃ち、見事に打ち破ったベトナムの英雄。ゲリラ戦や焦土戦術、罠を駆使しての勝利だった。ベトナムがゲリラ戦に有利な地形なのは昔から変わっていない。

 

Q9 インドネシアの国民的英雄、三代の王に仕えたマジャパヒト王国(ジャワ島)の宰相
(?~一三六四 マジャパヒト王国)

 

ヒント…マジャパヒト王国(ジャワ島)の宰相。三代の王(ひとりは女王)に仕えて最盛期をもたらした。最初に仕えた王は暗殺されているが、一説によれば、これは後を継いだ女王と結託した彼の陰謀だという。そのほうが物語としてはおもしろい。女王の息子が次の王なのだが、その父親は……などと、下世話な想像をしてしまう。彼が名宰相であったことは疑いなく、彼の死後、王国は衰退していく。インドネシアの国民的英雄となった人物である。

 

Q10 北方の獅子の娘は、男装の女王
(一六二六~一六八九 スウェーデン)

 

ヒント…北方の獅子と謳うたわれたグスタフ・アドルフの娘で、六歳でスウェーデン王に即位、十八歳から親政をはじめて、三十年戦争の終結に貢献した。産業と学術を振興させたが、褒賞の与えすぎで財政に負担をかけてもいる。自由主義的な教養を持つがゆえに、理想と現実のギャップに悩み、二十七歳で退位。諸国をめぐった後、ローマに落ちついた。女王であるより、平和を愛するひとりの女性であることを選んだのである。

 

【答え】A1:シャープール二世/A2:桓温/A3:テオドラ/A4:プラケーシン二世/A5:馮道/A6:アンナ・コムネナ/A7:シャジャル・アッ・ドゥッル/A8:チャン・フンダオ(陳興道)/A9:ガジャ・マダ/A10:クリスティーナ

 

その他、キャラの濃い偉人たち324人を解説した書籍『世界史をつくった最強の300人』(小前亮・著/光文社知恵の森文庫)は好評発売中!

 

※この記事は『世界史をつくった最強の300人』より一部を抜粋して作成しました。

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小前 亮 こまえ りょう

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