ryomiyagi
2020/10/03
ryomiyagi
2020/10/03
『pray human』
講談社
崔実さんは’16年に『ジニのパズル』で鮮烈にデビュー。同作品は第59回群像新人文学賞、第33回織田作之助賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞し、芥川賞の候補にも挙がるなど、出版界の期待の高さがうかがえます。そんな崔さんが4年ぶりに2作めの長編小説『pray human』を発表しました。
主人公の「わたし」はデビュー作が芥川賞の候補になった作家。17歳のときに精神科病棟に入院していた経験があります。ある日、「わたし」は患者たちのボスを気取っていた安城さんから電話をもらいます。8年ぶりに再会した彼女は末期がんのため入院中。誰彼構わず口汚なく罵る安城さんを見舞いながら、封印されていた「わたし」の記憶が語られていきます。言葉がうまく出なかった幼い日のこと、病院で同室だったLGBTQの「君」のこと、小中高一貫のキリスト教学校をやめてから仲よくなった親友のこと、そして……。
「私のトランスジェンダーの友だちは“こんな私でもまわりの人が優しくしてくれて”という表現で話すのが癖で。人として当然のことなんだから、そんな言い方をしなくてもいい、と言っても彼女は今も時々そう話します。それで彼女には“伝えたいことがあるから次回作、待ってて”と言っていたんです。
加えて、私自身も20代半ばのころ、仲のいい友だちに“朝鮮人なのに日本人に仲よくしてもらえてよかったね”とサラッと言われたことがありまして……。誰もそんな引け目を感じて生きる必要なんてない。そういういくつもの要素が重なり、私の入院体験をベースに書こうと考えました」
最初に書き上げたのは3年前。そのときは精神科病棟の中だけの話に限定し、主人公たちが入院した理由までは書かなかったそう。
「でも、理由を書かないと前に進めなくて……。一方、そこを書くことは私が家族にも話していなかった、解決できていない過去と対峙することだったんです」
世間では#Me Too運動が盛んで、多くの著名人がカミングアウトしていた時期。言語化できない自分を否定した崔さんは精神的に落ち込んでしまい、書けない日が続きました。そんな’19年5月のこと――。
「韓国のソウルで文学交流会があり『なぜ書くのか』というシンポジウムに参加しました。家族も友だちもいないここなら話せるかもと思い、初めて、自分が子供のころに受けた性的虐待についてエッセイに書いたんです。ところが壇上でそれを読もうとすると声が出なくなって……。すると横にいたデンマークの作家が代読してくれ、観客席からも“ケンチャナー(大丈夫)!”と拍手が湧いて……。
それで少し吹っ切れたんです。再び書き始めたのは帰国後の’19年6月1日のこと。沖縄とタイに行って書き、最後は都内のホテルに閉じこもって仕上げました。それでも書き終えたばかりのときは、自分の過去に向き合えた自信ではなく敗北感でいっぱい。絶望の中で書いた小説に力なんてあるのか、と思いました。
単行本にするにあたり、ようやく作品と距離を取れるようになりました。今は闘ってよかった、自分にとって意味のあるものになったと思っています」
読み進めていくうちに、何度も頭を殴られるような衝撃を覚え、言葉を失います。それでも希望のあるラストに、崔さんの人間に対する深い愛情と信頼が伝わり強く胸打たれます。読んでよかったと必ず思うはず。文句なしの最高傑作です。
おすすめの1冊
『はじめての沖縄』新曜社
岸 政彦/著
「社会学者の著者が紹介する沖縄の本ですが歴史を学ぶ本でもないしガイドブックでもありません。沖縄に対して真摯に向き合う眼差しが素晴らしいんです。これこそ“考え方の本”だと思い、いろんな人にすすめています」
PROFILE
ちぇ・しる◎’85年生まれ、東京都在住。’16年、『ジニのパズル』にて第59回群像新人文学賞、第33回織田作之助賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。’20年、本作『pray human』が第33回三島由紀夫賞候補となる。
聞き手/品川裕香
しながわ・ゆか◎フリー編集者・教育ジャーナリスト。’03年より『女性自身』の書評欄担当。著書は「若い人に贈る読書のすすめ2014」(読書推進運動協議会)の一冊に選ばれた『「働く」ために必要なこと』(筑摩書房)ほか多数。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.