内澤旬子の島へんろの記(2)癌治療にストーカー被害。「祈ること」が頭をよぎる
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ryomiyagi

2020/12/17

四国の中の、香川の中の、さらには小豆島だけで88箇所の札所があることを知っていますか?島に移住して6年目の内澤旬子さんが、いつかはやりたいと思っていた島へんろに挑戦。ヤギ飼いのため長期間留守にはできず、半日単位でコツコツと札所を回る「区切り打ち」。迷い、歩き、また迷い…。結願するまでの約2年を描いたお遍路エッセイ『内澤旬子の島へんろの記』の一部を、数回にわたって掲載します。

前回記事はこちら

 

どの札所にいっても、この坊主君がお出迎えしてくれる

 

 自分で歩かずに決めつけて、大変恐縮なのであるが、歩く前から思うのだけど、小豆島の遍路道、結構それなりに昔ながらの道が残っているんじゃなかろうか。自分が知っているだけでも、県道や国道に並行して、牛が醤油を運んでいた道などが残っている。アスファルト舗装しているけれど、並びは古い家ばかり。いや、小豆島の集落はどこもかしこも風情はとっても豊かなのだ。それこそ移住希望者が絶えず寄って来るのも、この集落と山と海の織りなす景色がとても素晴らしいからなのだと思う。
 なにがどうというわけではないのだが、高松や岡山郊外の国道を走っている時に感じる味気ない気持ちには、ならない。チェーンのドラッグストアやスーパーマーケットもあるのだけど、必要最小限で、町の景観を邪魔するほどではないのが、いいのだ。

 

 で、遍路をするとして、どこから始めればいいかとか、そういうガイド的な何かが、霊場一覧が載ってる地図一枚でいいんだけど、欲しい。

 

 私は友人を連れて土庄港に向かった。港の中で一番大きくて、フェリーと高速艇の本数も高松便だけで一日三十本を超える。岡山便もある。フェリー乗り場と高速艇乗り場の間に立つ土産物店と食堂のどこかに観光案内的なチラシやガイドブックを置く場所もあったような気がするよ。なにしろ一番たくさんの観光客が出入りする場所だもの。なにかあるはず。
 あれ?ないのだ。なんにも、ない。いや、普通のイラストマップとかは置いてますけどね。巡礼用の地図が、なーい。ガイドブックも、なーい。嘘でしょう? せめてお遍路をはじめたい人はあそこに行ってくださいみたいな、張り紙とか、そういうのも、ないの!? すみずみ、置いてあるチラシや本をほじくりまわして、見つけたのは、「小豆島パワースポット巡り」という地図のみ。霊場の番号と位置が書かれてある地図はないのか?
「ああ、お寺は観光スポットではなく、参拝する場所だという考えが根強くあって、観光と遍路が一緒に扱われることがないのが現状です。それもわからなくないのですが……」
 と、教えてくださったのは、常光寺副住職の大林慈空さん。小豆島遍路でわからないことがあったら、この人に聞くしかない。そう思って土庄港から車を飛ばしてきた。
 慈空さんは、システムエンジニアの仕事をやめ、母堂の実家である常光寺を継ぐために、高野山での修行を経て島にIターンしてきた。普段は常光寺からずんずんと山奥にあがったところにある碁石山という山岳霊場にいる。

 

小豆島遍路を知り尽くした、慈空さん

 

 小豆島を一番初めに訪ね、車で一周している時に、連れて来られて護摩祈禱していただいた。移住後はフェイスブックでご活躍を拝読しているのだが、小豆島の移住者同士のネットワーク作りや、移住者と地元の人とをつなげる交流会を開いたりと、とても活発に活動している。さらに小豆島遍路を盛り上げようと、女子へんろ、卒業へんろと、女性や中高生を対象にした一日遍路体験なども企画運営されている。すごいバイタリティだ。頭が下がる。私自身は人が集まるところが苦手なので、ネットで拝見しているだけだけれど、こうやって若い世代の方々が積極的に島の未来を考えて活動しているのは、本当に心強く、ありがたいことだと思う。
 女子へんろも、お誘いが回って来たのであるけれど、「女子」という歳でもないし、なにより若い女の子たちとぺちゃくちゃしゃべりながら歩くのは、ちょっと気おくれする。ちょうど当時住んでいた家の前が、遍路道に該当していて、一度女子へんろの一行を見送ったことがある。すごく楽しそうだった。うちで飼っているヤギを見つけて歓声が上がっていた。そりゃあまあ、集団で歩けばハイキング的にならないほうが変だし。ごく自然の成り行き。
「遍路をするなら、歩き遍路がいいですよ。そしてやっぱりひとりでいくのが一番いいです」
 え、そうなんですか。
 私の中での遍路とは、やはり巡礼であって、もし、霊場をきっちり回るというのならば、自分なりにちゃんと祈りたい。それくらいの気持ちは、ある。
 けれども、基本的には霊場巡礼は組織的に行われてきた。ひとり歩きは、小豆島に限ってなのかどうか知らないけれど、とても少ない。バスツアーもそうだし、何度かフェリーの中などで見かけたことがあるけれど、先達(せんだち)さんというリーダーに連れられて、五、六人のグループで全国からやってくるのが一般的だ。

 

 先達制度は、昭和十年頃に設けられた。小豆島霊場会が、遍路団体を世話し指導する「先達」たちを認証している。彼らは地元婦人会なのか、お寺の檀家さんの集まりなのか。四国巡礼が終わったら次は小豆島にという具合に、全国各地の巡礼路を、年に一度出かけては回るのだろうか。島から四国巡礼に向けて出かけるグループも、フェリーで見かける。もちろん高齢者中心。一昔前ならば、参拝講も多くあったろう。
 だけど信仰心が篤いわけでもないし、社会人になってからずっと、神仏に本気ですがったこともない人間が、今すぐに霊場会が組織する信仰心の篤そうなグループに参加して巡拝しろと言われても、大変に荷が重い。高齢の方々が多そうだしなあ。住んでる地域のお寺の檀家になったら、そういう誘いもひょっとしたらあるのかもしれないけれど、お墓を買う気も、今のところないし。
 慈空さんはそんな移住者や、小豆島に個人旅行で来る若い人たちをよく知っていたからこそ女子へんろを企画したのだろうな、というのもわかっていた。そう、もう少し気軽に体験したい人に向けてということ。そして卒業へんろは、小豆島で生まれ育ち学び、外に出ていく若者たちに、島のことを知ってほしいという気持ちで企画したのだろう。車社会だし部活と塾に追われてるんだろうし、島生まれの若い子たち、歩いてなさそうだもんな。
「いや、それが企画して実際に歩いてみると、女子へんろ、みんなよくしゃべるんですよ。歩きながら。ず―――っと」
 そりゃそうなるさ、女子だもの。女性は集まればしゃべる生き物です。ちょっと可笑しくなった。彼としてはもう少し修行という気持ちをもって取り組んで歩いてほしかったようだ。そして歩くことで、小豆島の素晴らしさも伝えたい。そう、島に三年住んだところで生活圏と観光地以外の場所を訪ねる機会はほとんどない。集落名が話に出てきても、なかなかピンと来ないという移住者は多い。これには私も全く同感で、すみずみまで歩いてみたいという気持ちがあるのだよなあ。

 

「内澤へんろ」の心強い先達

 

 それから慈空さんはいろいろと小豆島の霊場の成り立ちについて、巡礼路がどのように決まったかなどなど、どんどんと話をしてくださった。どれもこれも、とても面白い。よく調べていらっしゃるし、弁も立つ。さすが僧侶。彼自身が一冊の小豆島巡礼の本を書いたほうがいいと思って、最初は新書にできないかと画策したのだけれど、それはあえなく撃沈となった。しかし私もいつか歩き遍路をしてみたいと、決意したのだった。

 

 そうこうしているうちに、私自身に変化が起きた。乳癌になって四度にわたる手術の間にも、仏神にすがることなく、死なば死ね、殺せ、とひねくり返って生き残ってきた。そしてそのままどういうわけか、癌になる前よりも元気になり、小豆島に移住し、ヤギと楽しく暮らしてきたのだが、ストーカー被害に遭ったことなどいくつかの出来事をきっかけに、ふと弱気になった。

 

(3)に続く

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