30年間信仰心ゼロの“元”仏教女子が遍路で見つけた「祈り」の意味 『内澤旬子の島へんろの記』
ピックアップ

BW_machida

2021/01/28

 
海を見下ろす山の上にある奇岩「重ね岩」(撮影/内澤旬子)

 

「宝石がぎっしり詰まったような島」。エッセイストやイラストレーターとして活動する内澤旬子さんは、瀬戸内海に浮かぶ小豆島をこう表現します。そんな絶景の地として一般にも知られる小豆島ですが、実は四国八十八ヶ所とは異なる八十八の霊場がある霊兼あらたかな場所でもあるのです。『内澤旬子の島へんろの記』(光文社)では、2016年に小豆島へと移り住んだ著者の内澤さんが、道に、人生に迷いながら歩いた小豆島八十八ヶ所の遍路の軌跡が記されています。2年をかけて達成した結願の果てに内澤さんが得たものとは……?

 

「なんて愚かだったのだろう」仏教女子を変えた地下鉄サリン事件

 

「自分なりの祈りを探してみよう」
ストーカー事件や友人の闘病や死で悩んでいたことからそれまで遠ざけてきた信仰に向き合うことを決意し、小豆島遍路に出ることになる内澤さんでしたが、実はかつては仏画を模写し座禅に通うような仏教女子でした。

 

“高校生の時から仏教に興味を抱いて古語辞典の仏画を模写しているような、少女であった。受験勉強もそっちのけで本を読み、哲学科に潜り込んで、すぐに北鎌倉の円覚寺の学生座禅会に参禅。今でいうなら、スピリチュアル系仏教女子とでも呼べばいいのだろうか。エキセントリックな女学生であった。”

 

多感な学生時代、座禅をするときの自己嫌悪から逃れられる感覚が好きだったという内澤さんは、宗教哲学の世界に没頭します。大学卒業後、紆余曲折を経てイラストレーターとして活動するようになってからも宗教研究者の本を読んだりと、宗教への興味を持ち続けました。
しかし、そんな内澤さんが自分の宗教や信仰への興味を封印することを決意する出来事が起きます。1995年。オウム真理教による地下鉄サリン事件です。

 

“地下鉄サリン事件が起きて、呆然とした。自分はなんて愚かだったのだろう。先にあげた研究者の先生方は、それぞれの立場で、果敢にこの問題に取り組んでいった。当時すさまじいバッシングを受けた方もいる。それはそれとして、私自身だ。ものすごくいい加減に、中途半端に先生方の教えを、宗教を、面白がって読んで、楽しんでいた。ただそれだけ。そういう時代であったといえばそれまでだけど、猛烈に恥じた。” 

 

日本中を揺るがす大事件を起こした“宗教”に対する自分の向き合い方を反省した内澤さんはそれ以来、宗教は「カルトでダメなもの」だと、仏教女子としての自分を葬り去るのです。

 

「祈れている気がしない……」迷いながら歩いた遍路道

 

こうした宗教的なモノとの因縁を持ちながら遍路に出ることになる内澤さんは、道中でも様々な葛藤に直面します。

 

“祈りの言葉を、自分なりにでもつきつめて考えながら唱えられているかというと、これもまた惰性で済ませているように思えてならない。札所の礼拝はどうしても手順に気を取られてしまうし、歩きが単調であったり、疲れて辛い時に南無大師遍照金剛と唱えるのも、痛い疲れた辛い、目的地はまだか……という代わりに唱えているようなものだ。”

 

仏教女子を卒業してから30年以上、あらゆる信仰の類を遠ざけてきた内澤さんには、どうにも心から神仏に帰依して祈るということができなかったのです。それは、遍路道程が終盤に入った頃でも変わることがありませんでした。その時期に、癌との闘病の末に亡くなった友人のことを思って内澤さんは次のように思案します。

 

“こんな時こそ祈るべきではないのか。けれども。彼女の魂が安寧に極楽浄土へ渡れるように、などとはやっぱり祈れない。自分の信仰の浅さでは、「極楽浄土に渡る」を言葉のまま受け取って、自分や友人の人生の終末の延長線上に当てはめることは、どうにもできない。安らかにあってほしいと手を合わせるのだけで精一杯だ。それ以上を祈っても嘘になると、脳のどこかでストップがかかる。

 

来世があるとも信じられない。祈る意味も分からない。自身の悩みや悲しみが、祈ることで解決するとも思えない。なんなら希死念慮すらある。そんな巡礼者らしからぬ不信を抱えながら、それでも内澤さんは八十八カ所目の札所を目指して歩き続けました。

 

辿り着いた空っぽの境地

 

そうしてついに迎えた遍路最終日、一日で17カ所を回り全霊場の巡拝を達成した時、内澤さんは自身の変化に気づきます。

 

“家に戻り風呂に入り、はて?となった。今日一日歩きながら、祈りながら、亡くなった友人のことも、自分が遭ったストーカー被害のことも、全く一度も脳裏に浮かばなかったことに気が付いたのだ。人と会うことも少なくてビクビクすることもなかった。今日一日、何を祈っていたのかと言われても、よくわからない。空っぽ?てこと? 
こうしてほしいだとか、こうなりますようにだとか、これまで手を合わせるたびに、読経するたびにしつこく思い続けてきたものが、ない。”

 

それまで頭の中を占めていた、癌で友人を失くした悲しみや、ストーカー事件の悩み、またその被害で負った対人恐怖も、決してそれ自体がなくなったわけではないのに、ただそれらに対する思いが湧かなくなっていたのです。

 

“これが「祈る」ということなのか、確信はできない。今も彼女が亡くなったのは寂しいし、ストーカーへの恐怖と怒りは消えない。悩みや悲しみは変わらない。けれども、多分私はあきらめ、受け入れたのだ。恐怖や悲しみをぎゅっと抱えて、祈ろう祈ろうとなんとか解決してやろうと念じながら歩き続けることをあきらめて、それはそれとしてあることを、恐怖も悲しみもどうにもならないことを、認めたのだ。” 

 

内澤さんが結願を果たして得たものは、想像していた達成感とは違う“無”に近い感情でした。様々な霊場を歩き、祈り倒しても何かスピリチュアルな能力に目覚めるだとか、身の回りの物事がすべてうまくいくようになるだと、分かり易いご利益があったわけではありません。けれどもその代わりに、瀬戸内の海のように静かな心持ちが内澤さんにはもたらされていました。

 

内澤さんがどのような道のりを経てこの境地に至ったのか。
『内澤旬子の島へんろの記』でその遍路道を一緒に辿ることで、ぜひ確かめてください。

 

文/藤沢緑彩

関連記事

この記事の書籍

内澤旬子の 島へんろの記

内澤旬子の 島へんろの記

内澤旬子

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

この記事の書籍

内澤旬子の 島へんろの記

内澤旬子の 島へんろの記

内澤旬子