akane
2021/02/03
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2021/02/03
2013年、音楽の殿堂カーネギーホールで2000人を超える聴衆を前にしての最高の舞台を成功させたその年、指揮者である著者は生き方に疑問を抱いた。自分の夢が叶ったと喜んだ矢先、何万ドルにもおよぶ興行詐欺にあい、一文無しになってしまったのだ。
大きな成功をつかんだ「自己実現の鬼」だった自分にいったい何が起こっているのか。無感動になった心を元気づけるために音楽以外の本を読み、思索や瞑想をするうちに、著者はシンプルな疑問を抱きはじめる。成功ってなんだろう?
著者は精神的スランプから抜け出るために、自分が信じていた成功常識を捉え直そうと思い立つ。すると自分が感じている限界や苦しみの原因は、近代西洋OSの過信からくる問題点にあることに気づく。
ドイツ国歌を作曲したヨーゼフ・ハイドンら18世紀末までのクラシックの作曲家たちは「芸術家」ではなかった。彼らは、礼拝や娯楽(食事中のBGMなど)といった依頼主の目的にそう曲を作り、演奏もこなした。その姿は「芸術家」というよりも「職人」に近くはなかったか。そこに現れたのが、クラシック史上最大のイノベーター、ベートーヴェンだ。彼はいわばフリーランスとして自分の書きたい作品を作り、パトロンからの支援や出版社からの収入で生活していた。こうして音楽家は主従関係に縛られた職人の身分を脱し、自分らしさを社会へ向けて発信する「芸術家」になったのだという。
人々のパワーとなり、経済的な効果をもたらしたベートーヴェンの姿こそ、近代西洋OSにおいて理想とされる人生ではないか。好きな夢をもち、個性を伸ばし、それを社会で活かして成功するということ。これは音楽界に限ったことではない。ビジネス界で尊敬されるジョブスもまた、自分のこだわりを事業化して世界を変えてしまった人物だ。著者によれば、彼もまた本物の芸術家であり、成功者としての王道を実現してみせたひとりだという。
しかし、理想的な成功者が必ずしも幸せになるとは限らない。
「『自由』な社会であればあるほど、成功することに人生の価値を見いだす傾向が強まります。逆にいえば、失敗することは人生の価値を下げると見なされるのです。すなわち、近代西洋OSが力をもつほど、人生の価値が『成功と失敗』で判断されるようになります。」
人生を自由に自分で決められる現代では、ベートーヴェンの時代とは成功の重みも個人にかかるプレッシャー(精神的な重圧)もまるで異なる。「成功=幸せ」がいつも成り立つわけではないことを、著者はベートーヴェンの姿に教えられたのである。
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