『ヘーゼルの密書』著者新刊エッセイ 上田早夕里
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BW_machida

2021/03/12

小説には、過去と未来をつなぐ力がある

 

八年ほど前から、日本の近代史を題材とした小説を何作も書いてきた。本作『ヘーゼルの密書』もそのひとつで、前の二作(短編と長編)と同じく、租界時代の上海を舞台としている。

 

太平洋戦争直前、実際に進行しつつも中断を余儀なくされた、「桐工作」という日中和平工作があった。満州事変以降続いてきた日中間の交戦を停止させるため、厳しい条件下での緊迫した状況で行われた和平工作であったが、様々な要因から頓挫し、日本は中国と対立したまま、太平洋戦争に突入していった。

 

この時期の和平工作を扱った先行作品としては、桐工作と同じく途中で頓挫した「小野寺工作」をモデルとした娯楽作品が、日本には複数存在する。が、私は「桐工作」のほうに強い興味があったので、こちらを背景にフィクションを構成した。和平工作の指揮を執っていた今井武夫陸軍大佐(最終階級は少将)が、交渉の詳しい記録を残しており、これが、とても読み応えのある文献だったのだ。成功しなかった交渉の記録を調べることに何か意味はあるのか?という問いに対しては「とても大きな意味がある」と回答しておきたい。何があのとき成功を妨げたのか。その答えは、現代社会の問題として、いまでも我々の眼前に横たわったままである。

 

あの時代、多いときには十を超える数の和平工作が日中間で同時進行し、大勢の人間が関与したにもかかわらず何ひとつ成功しなかったという事実は、小説として書く価値があると考えた。
作家が、わざわざ古い時代を選んで作品を書くのは、そこから現代への鋭い示唆を読み取れるからである。体制が人を踏み続け、いまなおそうである現代社会において、作品を通して過去と未来をつなぎ、国の違いを超える普遍的な意味を読み取って頂けるなら、この小説を執筆した甲斐がある。

 

『ヘーゼルの密書』
上田早夕里/著

 

【あらすじ】
一九三九年、上海。激化する日中の対立関係。新たな大戦へと着実に向かう中、それでも戦争を回避すべく、日中和平工作にすべてをかけた人々がいたー!
激動に揺れる戦時上海を舞台に、知られざる幻の和平交渉に光を当てた長編歴史小説の傑作。

 

【PROFILE】
うえだ・さゆり 兵庫県出身。2003年『火星ダーク・バラード』で第4回小松左京賞を受賞しデビュー。’17年刊行の『破滅の王』が第159回直木賞候補作となる。他の作品に『華竜の宮』など多数。

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