akane
2019/04/29
akane
2019/04/29
「死んだはずなのに、生きることになった。せっかくなら、とことん楽しいことをしていこう」
じゃあ、何が楽しかっただろう。
思い返してみると、「他の人のために何かをし、喜んでもらえた時」に幸せを感じた。満足できた。
だったら、こっちのやり方、生き方を徹底する。
それでこそ、マンションから飛び降りたのに、生きている意味があるんじゃないか。
もう一つ、別の気持ちも芽生えた。
もう、私は、何もしても、どうやっても、自分では死ねないのかもしれない。私を死なせまいとする何らかの力が働いているのかもしれない。
私が死んでも、死ななくても、弱肉強食のこの社会の酷さは変わらない。絶望だらけの社会は変わらない。だから、まだ死に惹(ひ)かれる気持ちはある。
だけど、次に死のうとした時、死なせてもらえない私は、どんなことになるのか──顔がつぶれるのか、手足がもがれるのか、それでもきっと死ねないのだろう──。また、あの痛みと対峙するのか。
想像を重ねるにつれ、恐ろしさが増していった。私は死ぬことを許されていないのかもしれない。だとしたら、死ぬのはきっぱりあきらめ、生きるために何かをするべきなのかもしれない。
前に死んだ時には、孤独で寂しかった。だとしたら、次の最期の瞬間は、できれば温かい心で自分を満たしていたい。そのためにも、自分のために生きるより、他の人のために役立つことをしよう──。
考えがまとまりかけた時、一つのキーワードが浮かんだ。
「貢献」
冷酷な世界に絶望するのではなく、愛のある世界、すぐ隣の人に何かをしてあげることを大切にする世界を作っていこう。
そう心に決めた。
*
以上、『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』(モカ、高野真吾著、光文社新書刊)から抜粋・引用して構成しました。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.