「辞めたい病」が蔓延し始めた…保健所の過酷なコロナ最前線戦記
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BW_machida

2022/01/26

 

昨年末、日本国内における一日の新規感染者数を2桁に収めるなど、各国から奇跡的な復活と絶賛された日本だが、2022年の幕開けと同時に感染者数は不気味に増加を始め、過去最多を更新している。一日の感染者数が100万人単位のヨーロッパやアメリカに比べればまだまだ少ないが、脅威であることは間違いない。

 

2020年に始まった新型コロナウィルスによるパンデミックは、昨年秋ごろに終息の気配を見せ始めた。と同時に、アフリカ南部で発見された新たな変異種による感染者数の拡大は見る間に海を越え、ヨーロッパ・アメリカ・アジア大陸へと凄まじい勢いで浸食を始めた。

 

その間ずっと言われ続けたこと。それは「病床の不足」「保健行政の不手際」「IT化の拙速」……そして何より、それらに関わる人員の圧倒的な不足だが、そのなにか一つでも改善されただろうか。世界経済を根底から揺さぶるようなパンデミックを経ても、未だ改善されたとは言い難い状況が続いている。それらを棚上げしたまま、いわば自然終息の気配を見せる(昨年末まで)コロナに一息ついたかのような政府の足元にいよいよ第六波が押し寄せてきた。

 

『保健所の「コロナ戦記」TKYO2020-2021』(光文社新書)の著者は、医学博士であり、特別区の保健所に公衆衛生医師として勤務する関なおみ氏。まさに、コロナの最前線で責任者として働く現役医師の言葉から、私たち国民が、この間ずっと抱いてきた疑問や懸念の発生原理が見えてくるのではないだろうか。確実に歴史年表に刻まれるコロナ禍の最前線で、一体どのような戦いが繰り広げられたのか。それが語られる。待望の一冊が刊行した。

 

2020年1月23日深夜から、東京は戦争状態に突入した。そしてその2020年から21年にかけて、保健所と東京都庁の感染症対策部門の課長として新型コロナ対策の第一線に立ち、指揮を執り続けた公衆衛生医師がいた。ミッションはただ一つ、つぶれないこと。戦場にたとえていうならば、とにかく生き延びることである。
本書は、メモ魔・手紙魔で、日記を書かないと眠れず、読むことより書くことに依存している「活字中毒者」である公衆衛生医師が、未曾有の事態の中で経験したことを、後世に伝えるためにつぶさに記録したものである。

 

これは、本書の袖書きの一節だ。この一文だけで身が引き締まる思いがする。少なくとも、高度に社会システムが進化した日本で暮らす私など、「生き延びる」ことが求められる現場などに遭遇した覚えがない。はたしてそんな過酷な現場が、都内は言うに及ばず全国各地の保健所に繰り広げられたかと思うと、ゾッとするのは私だけではないだろう。

 

それはどうも湖北省武漢市というところで発生したらしい。そこにある海鮮卸市場ではいろいろな生き物が生きたまま食用で売られている。そのうちの何かが原因で、新たなウィルスが種の壁を越えて、人に感染するようになったようだ……。
だいたいこんな内容だった。
そのうち、「謎の肺炎」という言葉がメディアを飛び交い、国際感染症学会(ISID)が提供している感染症情報メールでも、2020年12月30日から「原因不明の肺炎」として取り上げられるようになった。

 

至極普通に暮らしている私などは、まだこの時点では……いや、この後(2020年2月3日)に豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号が感染者を乗せて横浜に来港してもなお、この「謎の肺炎」を自分自身に迫る脅威として捉えることはできていなかった。
ただ闇雲に、感染者を社会的脅威として「隔離」「排除」することのみを願う一市民でしかなかった。と同時に、多くの人がこの「謎の肺炎」に疑心暗鬼になり、そんな闇雲な相談や問い合わせが保健所に殺到し混乱を来しているというニュースが盛んに流れていた。

 

この感染症がマスコミに取り上げられるようになるにつれ、保健所の電話が朝から一斉に鳴る状態に突入した。
保健所に殺到した電話の相手は「(1)一般の人」「(2)行政機関の職員」「(3)区内の関係者」「(4)その他」に大別された。

 

そして著者は、大別したタイプをさらに細かく解説する。中でも本書で(1)に分類された、私を始めとする「一般の人」に見られるパラノイア系(基礎疾患がある、体の弱い人、精神的に不安定な人)やクレーマーなど、とにかく電話を切ろうとしない人たちの姿は、辺りを見回せば容易に見つけることができた気がする。
本来、迫り来るパンデミックに備えて様々な行政処置を施さねばならないはずの保健所職員が、四六時中そんな些事に囚われていたかと思うと申し訳なく思う。

 

また、時間の経過とともに、食事を提供する施設や飲食店から、どうやって環境を消毒したらよいのか、といった質問も寄せられるようになった。トイレのハンドドライヤーやエアタオルが次々と使用中止になったのもこの頃である。

 

そういえば、昨年の春先き辺りから、近くの公衆トイレのハンドドライヤーが使用中止になり、場所によっては今もその状態は続いている。言うまでもなくこれは、時の政権や都知事の言う「空気感染防止」「三密回避」をなぞらえての対策である。
基本的に不謹慎な私は、使用中止になったハンドドライヤーを初めて見たとき故障かと思ったのだが、その後、使用中止の理由を知り笑ってしまった。そんな具合に、このコロナ禍に現れた様々な施策(アベノマスクなど)や行政指導には、疑問も抱かせるものも少なからずあるが、それでも得体の知れない脅威と闘う以上は基本的に是非は問うまいと思い定めてきた。

 

蔓延する「辞めたい病」

 

ゴールデンウィークの第4波を受け、保健所に「辞めたい病」が蔓延し始めた。
去年からの切れ目ない対応に、いい加減疲れたという不満。オリンピック・パラリンピック開催か否か、煮え切らない政府への不満。開催された場合、到来するであろう第5波に対する不安。様々な専門家が予想する第5波のピークについて、実際どこまで増えるのだろうかという不安。ワクチン接種以外まん延防止策が何もないことに対する不安……。
(中略)
こんなに常識の通用しない、不安定な状況で、最前線に立たされ続けている保健所にいる職員にしてみれば、とにかくここから逃げ出して、1、2か月どこかでぼーっと過ごしたいと思うのは自然なことだろう。

 

その通りだと思う。
中でもオリンピック開催にまつわる是非論の応酬や、政府の無為無策ぶりなど、連日のニュースは辟易とさせられるものばかりだった。正直、決して日頃から思っているわけではないが、この間のコロナ騒動に際して、その最前線で戦う医療従事者や保健所職員の方々こそ、何らかの手段で報われるべきだと私は考えている。

 

本書を紹介するには、随分と抒情的に過ぎるレビューになったが、『保健所の「コロナ戦記」TOKYO2020-2021』(光文社新書)は決して抒情的なレポートではなく、日々進行・変転する施策や市民意識によっていかに現場が混乱させられ続けている現実(現在進行形である)が、時系列に沿って淡々と書き連ねられている。

 

そんな本書が、いまだ終息を見ないコロナ騒動の渦中に、現役の現場指揮官の実名によって書かれている事実にリスペクトを禁じ得ない。『保健所の「コロナ戦記」TOKYO2020-2021』(光文社新書)には、世界史に刻まれるべき一大トピックスの当事者として知っておかねばならない顛末の一部始終が記されていた。

 

文/森健次

 

『保健所の「コロナ戦記」TOKYO2020-2021』
関なおみ/著

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