ryomiyagi
2021/06/29
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2021/06/29
「ハプスブルク家」「ブルボン王朝」「ロマノフ家」「イギリス王家」と続いた中野京子さんによるシリーズ第5弾は、『プロイセン王家』にまつわる12の物語。プロイセンのホーエンツォレルン家の勃興は十一世紀、古さで言ったらハプスブルク家と同じほどだ。しかし、残念ながらその名はあまり広く知られていない。その理由は、ホーエンツォレルンというドイツ語の発音が難しいこと、ハプスブルクやブルボンのように大勢の美女の活躍もなく、しかも大スターはフリードリヒ二世とビスマルクのみであることなど。たしかに、華やかさに欠けているかもしれない。とはいえ、このホーエンツォレルン家こそ、現代ヨーロッパの地図の原型を作ったことを忘れてはならない。
「ホーエンツォレルン王朝の第一歩は、一七〇一年。スペイン継承戦争の勃発時、当主がハプスブルク家の陣につくことを約束したおかげで、中規模の『公国』から小なりといえども『王国』への格上げに成功した(王朝のはじまり)。ここを起点にさらに力をつけ、他の領邦を吸収してドイツ帝国を形成するに至ったが、第一次世界大戦によりハプスブルク王朝ロマノフ王朝、オスマン王朝同様、瓦解した。九代、二百十七年間の短い光芒だった。」
19世紀、プロイセンのホーエンツォレルン家は、ついにドイツを一つにまとめてヨーロッパ最強国の一角に食い込んだ。本書では、彼らを辿る12の物語を紹介する。歴代王は皆、個性派ぞろいだ。
初代王のフリードリヒ一世は建築道楽で国庫を空にし、病死した。次いで王冠をかぶったのがフリードリヒ・ヴィルヘルム一世。彼は、浪費家の父親のせいで節約を余儀なくされたので、宮廷費を大幅削減することにした。華美なシャンデリアもビンテージワインも銀食器も儀式用の馬車も全部、売り払った。節約に次ぐ、節約。そして国庫にお金が貯まると、軍備につぎ込んだ。だから、付いたあだ名は「兵隊王」。
三代目のフリードリヒ大王は、ホーエンツォレルン家の、プロイセンの「顔」ともいえる人物だ。父親に「笛吹きフリッツ」と罵られたのは、煙草も吸わずに、学問と芸術に熱中し、暇をみてはフルートの練習に勤しむほど音楽へ傾倒していたから。そのうえ、女性に興味がなかったから父子関係は最悪だったらしい。それでも、28歳で戴冠するとオペラ座の建設、アカデミーの復興など次々に啓蒙主義的改革を打ち出してゆく。
「デブの女誑し」のあだ名をつけられた四代フリードリヒ・ヴィルヘルム二世は、その名のとおり「すこぶる肥満し、十全にラブ・アフェアを楽しんだ」人物だったらしい。治世はたった11年だったが、食べて遊んでいただけではない。その間に、国内の道路の拡張や運河建設、そしてドイツ・ベルリンのシンボル、ブランデンブルク門を建造した。かなりの音楽好きで、自身も著名なチェリストから楽器を学び、モーツァルトもヴェートーベンもプロイセンへ来て新曲を作曲したという。
と、ここまで歴代王を紹介したが、これはホーエンツォレルン家のほんの一部にすぎない。王冠をかぶるごとに入れ替わり立ち代わり現れる人物が揃いも揃っておもしろい。王を紹介する肖像画をはじめ、絵画はすべてオールカラー、軽妙な筆致で読みやすいから、感心したり笑ったりしているうちに読み終わってしまうはずだ。
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