akane
2021/11/11
akane
2021/11/11
愛した。
書いた。
祈った。
1973年、51歳の時に得度され、僧侶として、作家として、たくさんのそして大きな愛を与え、常に励まし続けてくれた寂聴さん。先生の言葉はたくさんの弾ける笑顔を生んできました。
亡くなられた先生を偲び、スマートフォンアプリ「まいにち寂聴さん」で配信した記事から、先生の人生観の一端について触れた文章を掲載します。
私は人間が大好きだ。人間ほど興趣尽きない動物はない。自分ひとりを眺めてみても、こんなおかしなおもろい人間はめったにいないと、呆れかえってしまう。
人間が好きだし、興味があるからこそ小説家になったのだと思う。
(中略)この世に唯一つしかない自分だと思えば、もったいなくて、自分を粗末になんか出来ない。わがままという言葉は、否定的に使われてきて、子供の頃から「わがままをいうな」と叱られてきた。しかしつい、うかうかと八十七年も生きてきて、いつ死んでもおかしくない今になってみると、自分の生涯、わがままを通してよかったと悔いはない。
せっかく自分というこの世でたった一つの個性を与えられて生きてきたのだから、自分の心の声をよく聴いてやって、したいことをがむしゃらにでも押し通した方が、ああ、生きたという実感を味わって死んでゆけるような気がしてきた。今更、自分の過去の過失を列挙して、あの時、ああしておけばよかったなど思っても、もはや死も必ず遠からずやってくる今となっては後悔は追いつかない。
「迷ったら困難な方を選べ」
と私に教えたのは岡本太郎さんだった。私は太郎さんに逢って以来、それを信奉して生きてきた。その選択の先には、ずいぶんと辛い目にも遭ったが、それを一度も後悔したり、太郎さんを恨んだりしたことはなかった。
今度、あの世で太郎さんに逢ったら
「おかげさまで」
と、まずお礼を言うつもりでいる。どんなに用心したって、良い人生には困難辛苦の全く訪れないということはない。
その時、自分の独自の個性を信じ、自分の往くべき道に誇りを持って踏みだすことこそ生甲斐というものではないだろうか。
まあ、もし今夜死んでも、私はこう生きてきた自分に不満はない。
寂庵だより「我が道こそ」(2009年筆)より
先生のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。
スマートフォンアプリ「まいにち寂聴さん」では先生の「思い」を引き継ぎ、残された大切な言葉の数々を今後ともみなさまにお届けしてまいります。
「まいにち寂聴さん」スタッフ
【まいにち寂聴さんリンク】
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